カロリン・エムケ『なぜならそれは言葉にできるから』を読んだ

 

この本は二ヶ月くらい前に再読している。初読はもっと前、今年の春先頃だったか。一読して圧倒され、感想を書こうにも書けなかった。そのうち時間が過ぎて、内容を忘れてしまい、再び読み始めたのが確か夏の終わり頃で、それでも結局うまくまとめられそうになく放置してしまった。感想を述べるなら、打ちのめされた、この一語に尽きる。今もうまく感想が書けるとは思えないのだが、また時間が経つと忘れてしまうので今書けることだけ残しておく。

 

著者はジャーナリスト。これまで数多の戦場や難民キャンプを取材してきた。その経験が本書のエッセイに結晶している。本書のタイトルにもなっているエッセイは、暴力の被害者たちがその体験について語ることの不可能性と、それでもなお語ることの可能性をめぐって展開する。拷問や強姦や虐殺といった暴力の被害者たちがその現場から生還した際、彼らの多くはその出来事について沈黙する。彼らが語るのを阻害するものは何か。なぜ彼らは自らの体験について語ることに消極的なのか。ある人は言う、あんなことはとてもじゃないが体験していない人には理解できるはずがないからと。また別の人は言う、同じ苦しみを味わった人に対しては多くの言葉を用いて説明する必要はなく、その苦しみを知らない人には多くを語って恐怖や苦しみを与える必要はないからと。

 

しかしそれでも語らねばならない──というのは当事者でない人間の傲慢だが、どうか、語ってほしい、と思う。「あそこで何が起きたのか」、証言を残してほしい。なぜなら、加害者──それは独裁者であったり、民族主義者であったり、宗教原理主義者であったり、あるいはほかの何かであったりする──は、被害者を徹底的に蹂躙することで彼らの心身に生涯消えることのない傷を負わせ、その抑圧とトラウマによって彼らを沈黙させることで、自分たちを非難する声を歴史から抹消しようと企んでいるからだ。被害者が声を上げてくれなければ、証言をしてくれなければ、歴史はいずれその暴力を忘却してしまう。彼らが味わわねばならなかった屈辱も、苦痛も、絶望も、一切がなかったことにされてしまう。

 だが、極度の不正と暴力という犯罪の最も陰湿な点は、まさに被害者に沈黙させることにこそある。沈黙は、それらの犯罪の痕跡を消し去るからだ。構造的、物理的暴力は、被害者のなかに入り込み、被害者と社会との物理的、心理的つながりを傷つけ、彼らの語る能力を攻撃することで、気づかれることなく作用し続けるのだ。

 

でも生還者たちに、世界のため、あるいは正義のために、その辛かった出来事を証言してくれと要請できるだろうか。理不尽な暴力の犠牲者たちは、その犠牲となったことで世界や人間に対するかつての信頼を喪失してしまっている。かつては彼らも一人一人が権利を保障された秩序ある世界の住人だった。しかし理解の及ばぬ理由でその秩序は崩壊し、恐ろしい体験を強いられることとなった。暴力の犠牲となり、同胞たちが斃れていく現場から奇跡的に生還できた人間が、世界や他者を以前と同じように信頼できるはずがない。暴力は一度振るわれたが最後、その人の中に根を下ろし、その人に対して生涯にわたって作用し続ける。そんな人に対して、世界のために、歴史のために、正義のために語るよう求めることは、それもまた暴力になりうるのではないか。そしてそう感じる限り、彼らはその重い口を決して開こうとはしないだろう。

 

ようやく彼らがその重い口を開く決意をしたあとで人々が聞かされるものは、もしかしたら知らない方がよかった、そう思ってしまうほど恐ろしい、想像力の限界を超えるほどの体験であるかもしれない。それを、当事者でない人間が、たとえ悪意は微塵もなかったとしても、「とても言葉にできない」などという定型の表現に落とし込むことは避けねばならない。なぜか。

 不明瞭な描写は、恐ろしい事実を想像したくない者たちを守る。「言葉では描写できない」という神聖化された表現は、その作用においてタブーとほとんど変わりがない。なぜなら、「言葉では描写できない」という概念は、その体験をしなかった者が、体験した者の苦しみがどんなものだったかを想像することを妨げるからだ。感情移入も同情も、誰にでも当たり前に備わった能力ではない。なにが道徳的に非難に値するのか、なにが人を傷つけ、貶めるのかを、すべての人が自動的に理解できるわけではないのだ。

せっかくの証言がタブー化してしまったら、それは語られたことについて受け取る側が語ることの妨げとなってしまう。

 

ようやく口を開いた被害者たちの証言は、おそらくは混乱した、つっかえがちな、自信なさげな囁き声でなされるだろう。しかし彼らが困難を超えて「それでも語る」ことを選択したのなら、受け取る側は、彼らの語りの不完全さ、謎や間違いや混乱に戸惑ったりせず、その声に真摯に耳を傾けねばならない。その姿勢こそが、被害者と受け取る側(世界)との信頼を回復するよすがとなる。

 「言語に絶するものは、囁き声で広まっていく」──インゲボルク・バッハマンはそう書いている。「とても言葉にできない」または「表現できない」とされるものを伝えるには、ただ囁くしかないのかもしれない。拷問、暴力、屈辱、強姦については、つっかえながら、口ごもりながら、断片的に語るしかないのかもしれない。痛みを覚えながらでなければ思い出せないことや、恥を覚えながらでなければ告白できないことを語る際には、ところどころ空白もあるかもしれない。だが、まさにだからこそ、「それ」は言葉にできるのだ。

 

語ることの不可能性を超えて、それでもなお語るために必要なのは、被害者と世界との信頼回復。それがあってはじめて語ることは可能になる──。しかしこの結論はあくまでも思索途中の仮初のものと自分は読んだ。というかこのエッセイの眼目は、被害者が体験について語ることの不可能性、それについての分析にあると見る。この分析の部分は、著者の実体験と過去のドキュメントから得た知識が結合していて読み応えがある。翻って結論は、やや文学的に傾き過ぎているとの印象を持った。これは問題解決が目的ではなく、問題提起のために書かれたエッセイだろう。

 

 

表題作以外のエッセイでは、難民キャンプで子供たちに虐待される子犬の話(「他者の苦しみ」)、強制収容所におけるアメリカ軍の権力構造のおぞましさ(「拷問の解剖学的構造」)、他者にレッテル貼りすることの危険性(「現代のイスラム敵視における二重の憎しみ」)、これまで訪れた土地の思い出(「旅すること」、とくに最後の引っ越しの話)がよかった。

二回読んで付箋だらけになった。また読み直したい。

 

小山清『風の便り』を読んだ

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小山清はいい。文は人なりという言葉があるけれど、遠慮がちに、慎み深く、善美を希求するその文章を読むと胸が温かくなる。本書には著者自身の身辺を語ったり内省するような作品が11編収録されている。勤務先の金を使いこんだがために刑務所に服役し、夕張で炭鉱夫として働いた人である。底辺で喘ぐように生きる市井の人たちとともに暮らした人である。発作のために倒れ、後遺症として言葉を失い、それが原因で妻の自死を経験した人である。手元に余ったわずかな金の使い道として、花を買おうと思いつく人である。

 

自分が小山清を知ったのは講談社文芸文庫で、その冒頭に収められた「落穂拾い」の一節を読んだときから、自分にとって特別な作家となった。この人の書いたものが、忘れ去られることなく、2021年にまた新刊として出版されることが嬉しい。それも素敵な装丁で。

 

僕はいま武蔵野の片隅に住んでいる。僕の一日なんておよそ所在ないものである。本を読んだり散歩をしたりしているうちに、日が暮れてしまう。それでも散歩の途中で、野菊の咲いているのを見かけたりすると、ほっとして重荷の下りたような気持になる。その可憐な風情が僕に、「お前も生きて行け」と囁いてくれるのである。

 

「落穂拾い」

 

風の便り

風の便り

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歌舞伎町で何もしない

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先週末、連れと二人で歌舞伎町へ行ってきた。行くのは2020年3月以来なので1年7ヶ月ぶり。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い人の多い場所への外出をできる限りで控えてきた。が、ここへきて新規感染者数が大幅に減少し(原因はよくわからない)、10月25日には飲食店への酒類の提供や営業時間短縮の制限は解除された。繁華街へ行っても大丈夫そうに思えた。なので行った。

 

土曜日だったからか、歌舞伎町はだいぶ人出が戻ってきている印象を受けた。むろん通行人の大半はマスクをしている。TOHOシネマズの前の広場みたいなところにファミマがあって、午後3時頃だったと思うが、入り口前でおっさんグループが地べたに座り込んで酒盛りをしていたり、そのすぐそばに若い女性が座り込んでスマホを熱心にいじっているのを見て、歌舞伎町っぽい光景だなあと感心した。そのTOHOシネマズの入っているビルの8階にあるグレイスリー新宿に投宿。ここは駅からのアクセスもよく、周囲に飲食店も多く、いい立地である。ゴジラヘッドもあるし。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置くと連れと別れて単独行動。高田馬場ブックオフへ向かった。先日ブックオフせどりに関する本を読んでいたら無性に行きたくなったので。

 

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ひさしぶりの訪問だったのでいい買い物ができるかもと期待していたが案に相違して収穫はなく、手ぶらで退店。再び新宿に戻り、腹が減ってきたのでコンビニで酒を買い、ビルの1階に入っているケンタッキーでボックスを買った。ケンタッキーってよく知らないのでどれを買ったらいいのかわからず、レジの女性にチキンの入っているボックスが欲しいんですが…とメニューを案内してもらった。部屋に戻ると連れはまだ外出から戻っておらず(後で聞いたところ花園神社へお参りしていたとのこと)、電話してもつながらず、待つメドがつかないので温かいうちに食べようと一人で食べ始めた。

チキンを食べながらスマホはいじれない。テレビを点けたがどの局もつまらん番組しかやっていない。普段テレビをほとんど見ないから知らないのだが土曜日の午後ってこんなにテレビつまらないのか? 連れの分を残して食べ終わる。ビール二本飲んだ。食べ終わってベッドでスマホをいじっていたら連れが戻ってきたのでチキンを勧める。人出の多さについて話す。夜はしんぱち食堂のサーモンハラス定食をテイクアウトした。歌舞伎町のしんぱち食堂大好きなんだが店内はかなり密なので今回はテイクアウト。食後は部屋でスマホをいじったり、Kindleで読書をしたり、酒を飲んだり。普段の土曜日の夜と変わらない過ごし方。

 

翌日。朝食は、感染症対策で重箱入りのお弁当を部屋まで届けてくれた。ありがたい。カップ味噌汁のほかにリンゴジュースとコーヒーまでついてきた。ゴージャス。

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12時チェックアウト。ホテルからすぐのどうとんぼり神座へ行き(ラーメン大好き小泉さんに出て来たお店)おいしいラーメンを美味しく食す。

 

食べ終わって出ると小雨が降ってきた。紀伊国屋書店まで歩いていき、本を二冊購入して早々に電車に乗って帰る。

 

天気の影響もあっただろうが、日曜日よりも土曜日の方が人出は多かった。土曜日は夜遅くまで多くの人の姿が見られ、救急車両と思しきサイレンが夜中から早朝までたびたび聞こえた。

 

雨に降られてしまったが小降りだったのであまり濡れずに済んだ。ケンタとしんぱち食堂とおいしいラーメンを食べ、欲しかった本も買えたのでよかった。うまい飯食って、ホテルでだらだらしただけの二日間。充実の二日間だった。

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母の引っ越し

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アラームは5時50分にセットしていたが5時半頃に目が覚めた。ベッドから出て階下へ降り、トイレで排尿したのち洗面所で手を洗い、口をすすいだ。少し肌寒く、蛇口から温水が出てくるのに時間がかかった。水をコップ一杯飲んだ。朝食兼弁当のスープを作るため鍋に水を入れ、加熱ボタンを押した。冷蔵庫からカット野菜の袋と餃子のパックを取り出した。父が起きてきて、無言のまま玄関から出て行った。すぐ戻ってくると朝刊を食卓の上に置いて脱衣所に入り、洗濯機を回した。ちらっと朝刊を見ると当然ながら一面は昨日の衆院選の記事。自民党単独過半数確保。湯が沸いたので味覇を溶き、無造作にカット野菜と餃子2個を鍋に投入、した、ところで、頭上から物凄い音がして天井が揺れたようだった。重いものを倒したような音。「倒れた!」自分は即座に叫んだ。父が脱衣所から飛び出してきた。二人で階上へ行くと、中二階からの四段ほどの小階段の下で母が倒れていた。仰向けだった。小階段の下にあるトイレに行こうと手すりを掴まって降りたものの、おそらくは寝起きで呆けていたのだろう、足を踏み外してそのままぶっ倒れたようだった。一見したところ外傷はなく、意識もはっきりしていた。どうしたのかと聞くと「転んじゃった」としか言わない。父と二人がかりで起こそうとしたが、母は73歳なのに70キロ近い肥満体。重くてなかなか起こせない。本人は足が弱っているから踏ん張れない。それでもなんとか起き上がらせてトイレへ行かせる。

 

頭をぶつけているようだから、救急車を呼ぶほどではないだろうが病院で診てもらった方がいいだろう、と父と話す。鍋があったので自分は先に下へ戻る。父に付き添われながら母が階段を降りて一階のリビングへ来た。座ると「頭が痛い」と言い出す。少し前に近所のクリニックへ行った際、父がそばを離れている僅かな間に踏ん張れずに駐車場で倒れ、偶然通りかかった警察官二人に助けてもらうという出来事があった。足腰が弱りきっているのだ。70キロ近い体重を支えきれなくなっているのだ。父は朝が早い仕事である。自分が病院に連れて行こうかと言うと、どのみち今日の午後、近くの総合病院に腰痛診察の予約を入れているからそのついでにMRIを撮ってもらえばいいと父が言った。ではそうしようとなって、朝食を済ませ、余りをスープジャーに注ぎ、コーヒーを淹れてテレビのニュースを見ていたらスマホがビービー鳴り出して地震が来た。横揺れ。だがすぐおさまった。最近地震が多い。少しして母はまた父に付き添われて二階の寝室へ。自分はその間にほったらかしになっていた洗濯物を干した。空は曇っていたが降水確率は10パーセントとのこと。父が所用で先に出たので、家を出る前に母の様子を見に行くとうとうとしていた。父が帰ってくるまで絶対に一人で階段を降りるなよと言い置いて自分も家を出た。なんかあったら連絡くれと父にLINEしておいた。

 

結局就業時間中に何も連絡はなかった。まあそうだろうと思い自分からも連絡しなかった。定時ですぐ会社を出て五時半には帰宅。玄関から入るとリビングに置いてあった家具が出ていた。「引っ越しか」と思わず声が出た。「うん」と奥から父が答えた。もう危なくて母に階段の昇り降りはさせられない。だから広くないリビングだが一角を空けてそこに二階からベッドを移動させるしかない。夜中に催して目が覚めても(リハパンを穿いているが)リビングならばすぐトイレに行ける。

 

上がると母がリビングの椅子に座っていた。「どうだった?」と訊くと「MRI撮った」と返事。「結果は? なんでもなかっただろ」と言うと結果は土曜日にわかるという。写真を見る医師がいないのだろうか? 随分悠長だなと思ったが、すでにこれまでにも何度も倒れているので本人も周囲(自分や父)も慣れてしまっているところがある。普通なら階段を踏み外して頭を打ったとなると大騒ぎだろうが、母はこれまでにも似たような件や別の件でもう救急車に四回か五回は乗っている。

 

軽い家具は父が片付けていたので、手を洗うなりすぐ棚などの重い家具を二人がかりで脇へ移動させた。スペースができたので二階のベッドを父がばらし、自分がそれを下へ降ろす。昔の家だから階段が狭い。リビングで組み立て直し、マットやら毛布やら掛け布団やらを降ろしてベッドメイクして終了。なんだかんだで40分くらいかかったか。狭いリビングはさらに狭くなってしまった。「今後は二階へ行くの禁止な」と母に言うと頷いたがわかっているのかどうか。言うことを聞かない人だからきっとまた懲りずに階段の昇り降りをするだろう。しかし今更と自分でも思うのだが、しばらく前から階段を降りるのが危なっかしく見えていたのだから(昇りは大丈夫そうだった)もっと早く一階に母の生活圏を移動させるべきだったのかもしれない。でもそうは言っても実際にリビングにベッドが置かれると、家族のとはいえちょっと嫌なものである。なんかだらしねえというか、生臭いというか…。まあそんなこと言っていられないのだが。父とベッドを組み立てながら、「次にこのベッドをばらすときは…」「(母が)死んだときだろうな」と軽口を言い合った。今年一年で急にめっきり老け込んだ感じがあり、もしかすると本当にもしかするのかなあという気もしなくもないが、母は四人きょうだいの末っ子で、姉兄たちはみな健在で、認知症だとか施設に入っているとかいうこともない。末っ子の母が一番早く老け込んでしまっている。順番じゃないのかよ、と不思議に思う。

 

とりあえず階段を踏み外して転倒するリスクは排除できたのでよしとする。今は嫌な違和感があるが、一月もすればリビングにベッドがあるのにも慣れるだろう。

 

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ブックオフせどり黄金時代の記録──吉本康永『大金持ちも驚いた105円という大金』を読んだ

 

 

還暦間近の予備校教師によるブックオフせどりの記録。2007年当時、著者は事業の失敗と複数の不動産購入により毎月の40万円のローン返済を抱えていた。そこへリーマンショックによる不況と少子化による勤務先の経営難が重なって収入が大幅にダウンしてしまう。もう自己破産しかないと思い詰めるが、偶然アマゾンのマーケットプレイスで本が売れると知り、お試し感覚で出品した本が翌日売れたことからマケプレでの中古本販売に活路を見出す。初めは蔵書を売っていたがすぐにタマが尽き、本格的にせどりを始める。仕入れ先に選んだのがブックオフ。予備校での授業のかたわらブックオフへ頻繁に寄って売れそうな本をせどりする。しかし本は好きでも古書に詳しくはない著者は、どういう本が高く売れるか判断がつかない。自分の好きな作家、著名な作家のものを選んでもそういう作家の本は出回っており競合するから高く売れない。模索していたある日、ISBNを打ち込めばマケプレでの相場が表示されるという携帯電話(スマホではない)の無料ツールを知る。これを頼りに売れそうな本をせどりしていく。

 

本書は2007年から2009年までのせどりの記録である。先日読んだ『ブックオフ大学ぶらぶら学部』によると、2000年代後半から2010年代前半はまだブックオフの値付けがおおらかで、100円棚にお宝が眠っていたり、定期的に大幅値下げセールが実施されるなど、せどらーにとって恵まれた時代だった。せどりに関する情報が少しずつネットに登場しはじめ、しかしまだスマホ普及前だからする人は少ない。バーコードリーダーもない。2021年から振り返ると、本書に記録されているのはブックオフせどりの黄金時代かもしれない。本書の終わり近くで、著者はブックオフせどりがやがて困難になっていくだろうとの危惧を記している。それは現実となった。ブックオフはせどらーを排除すべくバーコードリーダーの使用禁止や相場を参考にした値付けをするようになった。この方針によってお得感がなくなってせどらーのみならず一般客まで離れてしまい、今や店舗を減らしつつあるというのは皮肉な結果だが。少し前だったか、レンタル店のTSUTAYAが店舗を減らしているというニュースを読んだが、ブックオフといいTSUTAYAといい、郊外や地方住民の本や映画や音楽といったカルチャーへの飢えを満たしてくれた企業が、ネット通販や配信サブスクにおされて姿を消しつつあるのは時代の趨勢だろう。

 

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せどりはかなりの重労働である。著者のある一日を引用すると、

 それで、気をよくして、その年の秋のある日、午前八時に家を出て、上信越自動車道を利用して長野市に向かい、長野市で四店、更埴市(現千曲市)で一店、上田市で二店、小諸市で一店と、計八店のブックオフに日帰りでせどりに向かいました。せどり開始が長野市ブックオフの午前10時の開店時、せどり終了が小諸市の午後10時の閉店時。実働10時間の強行軍。

 へとへとに疲れながら、せどりした本は約300冊。帰路の上信越自動車道走行中に見上げた星空に秋の月が煌々と輝いておりました。

これはかなり熱心な一日の例だが、それでも休日のたびに群馬県内(著者は高崎市在住)の店舗や埼玉県の店舗をはしご・遠征している。著者は「自動車に興味もなく、運転も好きでない」という。自分が読みたい本ではなく売るための本を探しに行くのだから仕事であって、運転が好きでないのにドライバーの仕事をしているようなものだと考えるとそりゃ苦痛だろう。面白いのは、せどり仕入れる本は基本的に自分では読もうと思わない医学書や理工系の専門書の類がメインだという話。そういう本は定価が高いから売るときも高めに値付けができ、専門職の人が求めるから一定の需要が見込めるとのこと。「一度も読んだことはないが十冊は売った」みたいな文章が幾度か出てくると、商売だよなあ、と感心する。やがて売り上げが一日何十万円という規模になると古物商許可を取得する。

 

二年間での売り上げは1700万円。しかし利益は半分くらいだという。アマゾンに払う手数料、送料、車のガソリン代や高速料金などを考えたら利益率はそんなものか。昨今、転売目的で買い占める転売ヤーの是非が問われることが増えた。基本的に転売ヤーは叩かれる存在である。コロナウイルス第一波の頃のマスク買い占め・転売は大きく報道された。著者もまた転売ヤーと言えるだろうが、しかし本書を読んで転売ヤーに感じるような不快さを感じることはなかった。むしろ応援したくなった。それは著者の人柄によるところが大きい。「試験で必要な参考書だから至急送ってくれ。追加で送料が必要なら別途払う」というメールを寄越した購入者に対して、そのメールを見るなり梱包し自腹で宅配便で送ったり、高額品の購入者へは指定されなくても送料の高い宅配便で送ったり(これは配送記録の絡みもあるのかもしれないが)、同じくせどりをしていると思しき人を見かけると声をかけたりといった人のよさがあるのだ。そういえば2000年代半ば頃は、マケプレヤフオクで本を買うとたまに出品者手製のしおりや感謝を伝える手書きのカードが同封されていたりして、今振り返るとずいぶん牧歌的な時代だった。著者もおそらくはそういうサービス精神溢れる、人情味のある出品者の一人だったのだろう。

 

自分も一時期マケプレで本を販売していた時期があった。せどりではない。手持ちの蔵書を売っていた。2011年の震災後に会社を突発的に辞め、無計画だったので貯金はわずかしかなく、生活費の足しにするためにである。半年くらいの間に50冊くらいは売れただろうか。品切れまたは絶版の本をいくらか持っていたので出品すると、買ったときより高く、物によっては数倍の価格で売れたりして金銭的に助けられた。当時はスマホの普及前だったからメルカリもなかった。今だったらメルカリで売るだろう。でもヤフオク初期もそうだったが、マケプレも2011年頃は出品すれば工夫せずとも簡単に売れた。マケプレにはその後何年か惰性で出品し続けていたが、二年くらい前からあまりにも動かないので止めてしまった。また気が向いたら今度はメルカリにでも出すかもしれない。以前のように切羽詰まってはいないので蔵書の整理がてら少しでも金になるのなら売る、というスタンスで。

 

著者は若い人がせどりを副業としてやるならいいが、専業でするのは薦めない。その理由として、

 私のようにローン地獄に追い詰められてせどりを始めた素人から見ても、現在、どこのブックオフの店に行っても、105円の棚に並べられた単行本、新書・文庫のレベルは限りなく落ちています。はっきり言えば、もうツブシ本すれすれの本ばかりです。その中からアマゾンでせめて300円とか、400円とかで売れる本を探すのも以前に比べ厳しいものになっております。

 まして、1000円とか2000円になる本を探すのはもう灰の中からダイヤモンドを探すような行為に似ています。

 同じことを書きますが、せどりをしていると、一日だれとも話さず生きていくことも可能です。ある意味、それは楽といえば楽でしょうが、違う意味で若い人にとってはきっともっと重要な個人としての社会性を失っていくような危惧を覚えてしまいます。

せどりをやっていたからこそ身につく技能があるわけでもないし、将来的なことを考えるとたしかに厳しいな。

 

2009年の時点ですでに著者はブックオフの品揃えが徐々にせどりに不向きになってきているのを感じている。このあと、スマホが普及して参入者はさらに増え、「ビームせどり」が流行り、ブックオフ側に対策され、ブックオフせどりは下火になっていく。自分も先週末、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』そして本書と読んでいるうちに行きたくなり、一年以上ぶりに高田馬場ブックオフへ行った。しかし一時間近く店内をうろついても買いたいと思える本には出会えなかった。いい本は置いてある。しかし値段が中古のわりに高めに感じられて買うまでに至らない。廃盤の洋画DVDもしっかり相場通りの価格が付けられていた。今ブックオフせどりで儲けるのは厳しそうに思えた。

 

本書が書かれたブックオフせどりの黄金時代は過ぎ去った。スマホの普及、メルカリの登場、ブックオフのせどらー対策などその後の出来事に対して著者はどう対応したのだろう。工夫して今もせどりを続けているのか。気になって検索すると、2011年に亡くなったとのこと。ブログがあったようだが今は閉鎖されている。だからもう本書の続きを読むことはできない。

 

ブックオフにあまり通っていないけれど『ブックオフ大学ぶらぶら学部』を読んだ

 

 

ブックオフの魅力と思い出を執筆者たちが述べた本。自分はあまりブックオフに思い入れはなくて、掘り出し物を見つけた記憶もほとんどない。あったかな? 2012年頃は無職だったので、車で15分くらいかかる最寄りのブックオフへよく通った。ちょっと本を探して、立ち読みして、でも欲しい本がなくて、買うことはあまりなかった。このブックオフは五年くらい前になくなってしまった。

 

ブックオフのよさは入りやすさにある。神保町の古本屋、古本屋というか古書店と呼ばなくてはいけないような、ああいうかしこまった感じはブックオフには微塵もない(神保町でも@ワンダーなんかはカジュアルで入りやすいけれど)。神保町、何度か行ったけれど、大半のお店と趣味が合わず、値段も安くなく、ここでいい買い物は一度もしたことがない。結局古書店では何も買わず、三省堂で何か新刊を買って、丸香でうどんを食べて満足して帰る、というのが自分が神保町へ行ったときのお決まりの流れ。中央線沿線の古本屋の方が自分の趣味に合った。ここのいくつかの店舗では結構買い物をした。探している本を見つけることもあった。自分のフェイバリットである増田みず子の『シングルセル』講談社文芸文庫は、盛林堂書房の充実した講談社文芸文庫の棚で見つけた。加能作次郎も。中央線沿線の有名な古本屋はほとんど行った。中野、東中野の変わり種ブックオフにも行った。江古田にも。高田馬場にも。

 

2019年から毎週のように映画館へ行くようになった。これは映画を新たな趣味にしようと当時の自分が思ったからで、せっかくだから映画を見るのと併せてあちこちの映画館を回ってみようとも思った。とくに都内の。早稲田松竹はこの映画館めぐりの流れで行くようになった。コロナ禍以降は行っていないから2019年と2020年前半の一年半に三回か四回は行った。映画を見たあと、毎度必ずブックオフ高田馬場北店へ寄った。初めて行ったとき、黒っぽい本も扱う変わり種の店舗と知ってはいたけれど、店の一番奥にあるその売り場へ行って実際に棚を見た時はびっくりした。え、全然ブックオフっぽくない、と。ここではわりと買い物をした。自分にとってはこのお店が一番印象に残っているブックオフである。

 

本書でZというせどらーが「ブックオフせどり」の歴史を書いている。それによると自分が人生で一番よくブックオフへ行っていた(といっても週に一度行くかどうかだったから本書の執筆者のように多いときは朝夕一日二回行くような人とは比較にならないが)2012年頃はバーコードリーダーを活用した「ビームせどり」の全盛期だったようだ。しかしバーコードを読み取ったり、カゴいっぱいに本を入れているせどらーを店で見かけた記憶はない。自分がよく行っていたブックオフはいつも閑散としている寂しい店舗だった。別の執筆者は四国のどこかのブックオフで2万円で売れるレアものの『オバ Q』を見つけた話を書いている。ジャンルによっては探せば今でもそういうお宝があるのだろうか。それとも、もはや完全にデータベースで管理されてそういうイレギュラーはないシステムになっているのだろうか。

 

ブックオフのみならず古本屋全般に関して思うのだが、特定の本を求めて訪れるのは効率が悪い。お店で状態のいい、手頃な値段で売られている目当ての本にめぐり会える確率は奇跡的な数字だろう。欲しい本があるなら古本屋へわざわざ足を運ぶより、ヤフオクマケプレ、メルカリ、日本の古本屋などで検索して買う方が効率がいい。少し前に、何年も、たぶん十年以上探していた本を、状態良好で相場より安くメルカリで買うことができた。自分の場合、探している本が買えた回数は圧倒的に店よりもネットの方が多い。古本ならネットで探せばいい。買えばいい。そう思うのに、いざ古本屋へ行くと、どうしてあんなにわくわくするのだろう。棚に並んだ背表紙を端から順番に見ていくとき、どうしてあんなに興奮するのだろう。

 

以上、本の内容とあまり関係ない感想、というか雑文になってしまった。この本を読んで、世の中にはブックオフをはしごしたり、旅行がてらブックオフめぐりをするほどブックオフ好きな人がいるのだと知ったのはちょっとした驚きだった。でも他人のブックオフ愛を読み、自分でもこうやって思い出めいたものを書いていたら、久しぶりにブックオフ(または古本屋)へ行きたい気持ちが湧いてきた。

 

『押井守監督が語る映画で学ぶ現代史』を読んだ

 

押井監督の映画評論も三冊目。1963年の『世界大戦争』から2014年の『キャプテン・アメリカ/ウインター・ソルジャー』、さらにはYouTubeへと至る映画・映像作品から、制作当時の時代精神を読み取るという主旨の内容。監督曰く「映画は時代のタイムカプセルである」。

 

メインで語られるのは以下の映画。

世界大戦争』(1961年)

『007/ロシアより愛をこめて』(1963年)

『エレキの若大将』(1965年)

仁義なき戦い』(1973年)

野性の証明』(1978年)

DEAD OR ALIVE 犯罪者』(1999年)

キャプテン・アメリカ/ウインター・ソルジャー』(2014年)

 

60年代の映画が二つも入っているのは監督が51年の生まれだからか。映画とはそれを見た記憶の中にしか存在しない、と映画を見ることを一つの体験として捉えているから少年・青年時代の映画の印象が強く残っていて語りたくなるのかもしれない。『世界大戦争』の最後の晩餐をめぐる思い出(メロンが食べたかったそう)や、『007』の原作をエロ目的で読んだなどはいい話。『007』については、スパイとは国家が表立って戦争をできない冷戦時代の産物であり、戦争が国家間ではなく国際テロ組織や国内の少数部族を相手にするものになってしまった現代ではスパイ映画の成立する余地がなくなってしまった、だから今でも続いているとはいえ(先だってクレイグ・ボンドの最終作が公開されたが)、もはや「(時代を描くという)歴史的使命を終えた」シリーズだという。自分は『007』をほとんど知らないのでこんなことを言うのは僭越だが、最新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』はよくできたアクション映画という以上の感想は持てなかった。感染症とか環境問題とかも入れていたみたいだけれどスパイスにしかなっていない。それがメインテーマになってはいなかった。

 

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『エレキの若大将』に、現実にない、いわばファンタジーとして当時の若者が抱いた学生生活・青春時代への憧れを見る。『野性の証明』から、メディアミックスの走りとしての角川映画(映画と文庫のコラボ)、また角川が映画制作現場にもたらした功罪について述べる。後者についての章は多くの作品を作ってきた押井監督の経験からの発言が多く面白い。たとえば当時バンダイは映画を作っても所詮おもちゃ屋が作った映画と見下され常に配給に苦戦したという。バンダイの作った映画の配給はほとんどが松竹で、それは松竹しか相手にしてくれなかったから。東宝はほとんどロボットものの配給をやったことがない、と言って『エヴァ』(『Q』までは東映、『シン』のみ東宝東映・カラーの共同配給)を引き合いに出すのは笑えた。「『エヴァ』はロボットアニメか否か」みたいな話題が以前あったから。配給からのキャスティングへの口出し、広告代理店による宣伝の限界などの裏話も楽しい。

 

押井監督は製作者として映画を映画館で上映することにこだわり、動画配信では駄目だという。その理由は、配信には「手応えがないから。リアクションがないから」。言論がないからとも言っている。

 映画はある種の社会的な行為なわけだよね。不特定多数の人間がある時間を共有して同時に見ているわけだ。そこには必ず言説が生まれる。よかった悪かったから始まって、何がいいのか何がひどかったのか。それを炎上と呼ぼうが百叩きと呼ぼうが、大絶賛だろうが大感動だろうが、要するにリアクションがあるわけだ。  

 だけど配信というのは個人的な体験なんだよ。基本的には一人で見る。せいぜい数人、家庭で見るということはあるかもしれないけど、基本的には個人的な体験なんだよ。デートでもなければ、誰かと一緒に行って帰りに飯を食うかという話でもない。個人の時間を合理的に使ってるだけなんだよ。自分の好きな時に好きな話数を見れる。それは一人で図書館に行くのと同じなんだよ。しかも家まで届けてくれる上に定額料金制。手元に何も残らないけど。家に付属した図書館の利用パスを持ってるようなもんだよね。

ネットに作品の感想を書かれるのは違うのか、と聞き手に問われると、

 ネットの言論なんて存在しないに等しいよ。匿名の言論に何の意味があるんだって。しかもよかった悪かった大会で、百叩きにするか大絶賛するかしかない。言論は絶えずその中間にあるんだから。

 僕は語られない映画を作る気はない。「映画は語られることでしか成立しない」っていつも言ってるでしょ。映画というのは語られた時に初めて映画になるんであって、個人的な体験は映画体験とは言わないんですよ。

 それが、僕が映画についてさんざんしゃべり倒してきた最大の理由。昔から変わらない。映画を見たら必ず誰かとしゃべる。しゃべらずにはいられない。ずいぶん嫌がられたけど。でもたまに「ふんふん」と聞いてくれる人もいるし、「そうじゃない」って喧嘩になることもあるわけだ。それも含めて言論と呼ぶんだよ。匿名で言いたい放題ネットにアップして、それにどんなレスがつこうがそれは言論でもなんでもない。

でも監督はYouTubeで人がただ飯食ってるだけの動画とかを結構見ているようで、上の発言との矛盾というか、見るのはいいんかい、という疑問が。「言論がない」、ねえ。ネット上の匿名のやりとりは言論ではない、と断言されると些か違和感がある。Qアノンみたいなのが跋扈する時代であれば尚更。ネット上の言論の質が低いから参考にならない、というのならわかるが…。手元のスマホ脊髄反射的に感想を書き込める時代だから玉石混交凄そう、というか大半が石だろうとは思うが、ネットに言論がないとは自分は思わない。

 

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以下、本書から印象的だった箇所をいくつか引用。Kindleはマーキング箇所をコピペできるのでこうしてブログに書くとき楽で便利。

映画というのはしょせん記憶だから、事実関係を争ったってしょうがない。「あのときの自分は確かにそう観たんだ」と言い張るのが正しい観方だと思うよ。

これは監督がよく言っていること。映画とは見た記憶の中にしかない、見た後に語られることでしか存在しない、と。『50年50本』はこのテーゼに支えられていた。

 

「何かを他の人と共有する」という意欲そのものがなくなってるんじゃないか、と思ってるんだよね。細分化されたそれぞれのジャンルの中で共感構造があるかもしれないけど、実はそれも大したことない。それはネットで同じような言葉を使って満足しているというレベルだよ。果たしてそんなものが「文化」と言えるんだろうか。

 

ルールを守って退屈なものを作るのか、ルールを無視で破綻しまくってるけど本当に面白かったよなと言わせるのか。どっちをエンターテインメントと呼ぶんだと。日本の映画監督というのはそういう意味で言うと、どこかそういう意識が薄い気がする。映画監督は作家じゃないんだよ。小説家でもなければ文学者でもないんだから、深刻なドラマを撮ってれば偉いわけじゃないでしょ。

 でもなんか知らないけど日本映画ってだいたい、うちの奥さんの言い草じゃないけど9割までは陰々滅々としてるよね。奥さんは「日本映画は見ない。本当に暗くて私、大嫌い。そもそもセリフが何言ってるのかわからないし、アパートから出たり入ったりしてるだけじゃないの」といつも言ってるよ。

この奥様の邦画のイメージはユーモラスかつ辛辣で笑えた。アパートが出てこない映画でも「アパートから出たり入ったりしてる」感が確かにある。なんなんだろうな、あれ。辛気臭いリアリズム?

 

僕はとにかく「映画は数を見ないとダメだ」という主義なんで。数を見ることで相対的に視点というのが生まれてくる。ちょろっと何本か見たって何もわかりゃしない。

これもいつも言ってますね。

 

──話を戻しますと、「映画は時代の不安を閉じ込めたものなんだ」という役割をどんどん捨てて、社会の不安と向き合うことをやめてしまった、のみならず、旧来の作り方にしがみついているがゆえに、日本の映画は社会的な使命を失ったんでしょうか。

押井: 失ったというか、自分で放棄していったんだよ。

(略)

押井:日本ではもう、そうした社会的使命が求められていなかった、というのもあるんだろうけど、日本映画のほうが自ら手放していったんじゃないかという気がしているね。

 

押井監督は邦画にかなり厳しい。でも2021年はいい邦画がたくさんあった。『すばらしき世界』『あのこは貴族』『ドライブ・マイ・カー』『孤狼の血LEVEL2』『東京自転車節』『空白』。一方で洋画は奮わなかった。自分が感心したのは年初に見た『プラットフォーム』くらい。まあこれは好みの問題だが。『あのこは貴族』『東京自転車節』なんかは経済格差について意識的で、邦画が「社会的な使命を放棄している」とも思わない。そういえば押井監督って軍事的な国際問題と比較して経済格差とか貧困問題についてはあまり言及しないな。なんでだろう。

 

押井監督、人混みが嫌であまり映画館に行かないようだけれどリドリー・スコットやノーランの新作なら見に行くと言っていたから『最後の決闘裁判』は見に行ったのかな。感想がどこかにあったら読んでみたい。しかし自分、押井監督の映画評論を好んで読むわりに映画の好みは全然合わないんだよな。でも読むと楽しいんだよな。監督の語りの面白さかね。不思議。

 

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