3日間寝込み、病み上がると10年飼っていた金魚が死んでいた

3回目接種の翌々日、副反応と思しき微熱はすでに下がり平熱、体調もいつもどおり。なので余裕こいて焼肉ランチに行き昼から生中。生中を飲んだときは別段異常はなかったが、帰宅してレモンサワーを飲んだら途端に気分が悪くなりベッドへ倒れ込む。若干の頭痛と胸のむかつき。その晩から三日間寝込んだ。発熱はない。頭痛と胸のむかむか。吐き気。これが副反応と関係があったのかはわからないが、頭痛持ちの自分の普段の頭痛…左目の奥の方が痛くなって、光が眩しくて目を開けていられず、頭の中では100人の中学生がバスケットボールの試合をしているよう…というのではなく、両のこめかみから頭頂部にかけてギリギリ締め上げるような痛みだった。普段なら寝込んでいても水を飲むくらいできるのだが今回は水が喉を通るのを想像しただけで不快で、脱水気味だろうなあと朦朧と意識しつつほとんど水を飲まなかった。気絶するように何時間も眠り続けたのはいつもと一緒。GW前だというのに力尽き会社を連休してしまった。

 

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で、ようやく動けるようになって今日出勤。無理せず適当にのらりくらりと仕事。定時まで頑張りコンビニで今日の晩飯と明日の朝飯を買って帰宅。玄関を入ってすぐのところにある水槽をふと覗くと中の金魚(琉金)が沈んでそっぽを向いている。おや? と思い、水槽を軽く指で叩くが反応がない。ちょっと強く叩いても同じ。なのでちょっとだけ水槽を傾けるが動かない。これは…。「金ちゃん、死んじゃってるじゃん」とリビングにいた両親に声をかける。父親がこっちへ来て「死んでたら浮いてくるだろ」と言いながら水槽を揺らす。「なんだ生きてるよ」と言うがただ水の流れに揺れたようにしか自分には見えず、「ヒレが動いてない。死んでるよ」。「今朝エサあげたけど…」と父。エサは食べられずに底に溜まっていた。ということは今朝にはもう死んでいたのか、それとも食べる力はなかったもののまだ朝は生きていたのか、それとも。というくらいに見ているようで見ていなかった。今やわが家の唯一のペットだったのだが。冷淡なものだ。母は何が可笑しいのか「死んじゃった」と言って笑っていた。

 

母が脳梗塞で倒れたのは2011年7月。診察やリハビリ等で近所の総合病院に入院していたときに、病室の孤独を紛らせたらと買ったのがこの金魚だった。他にも何匹かいたらしいが、認知症の気がある母が餌をやりすぎたりやらなさすぎたりしたせいですぐに死んでしまい、生き残った最後の一匹だった。水槽の中に1匹だったのがストレスなくてよかったのか、調べたら金魚は3年程度で死んでしまうのが多いなか11年近く生きたのだからこれはもう大往生だと言っていいだろう。ここ1年くらいは全体的に赤みがなくなり白っぽくなっていた。尾鰭も大きく伸びてこのまま鯉になるんじゃないかとさえ思えた。

 

10年いたのに1枚の写真も撮っていないのは妙な気がする。冷淡、そうかもしれない。が、『セブン』の寝たきり男じゃないが、へんにセンサーをあててショック死でもしたらイヤだなあという思いもあった。言い訳か。金魚は生きて動き回っているけれども、命の重みというのか、それが犬と比較するとやはり違う。軽い。それでも飼っていた生き物が死んだという事実は気持ちを暗くする。いやなものだ。またいつか犬と暮らしてえとよく思うけれども、その喪失、必ず来る喪失に耐えられないと分かっているから、結局思うきりになる。そして彼らはすぐ死んでしまう。哺乳類は嫌、鳥も嫌だし(昔買っていたが)、金魚だって死ねばやっぱり嫌なもので、だから俺みたいな気弱な人間は植物か、それも枯れたのを捨てるのが嫌だとなればあとは石を飾って眺めるくらいがちょうどいいのかもしれない(昆虫はムリなので)。やっぱり1枚くらいは写真に撮っておくべきだったな。俺はあの金魚に対して、その命に対して冷淡だった。

空になった水槽 4/30撮影



映画『英雄の証明』を見た

アスガー・ファルハディ監督の映画はこれが初めて。序盤の展開はかなりゆっくり。状況説明もないので最初何が起きているのか理解するのに時間がかかった。元妻の父親(主人公の義父)に融資してもらって事業を経営していたが共同経営社に金を持ち逃げされ、返済するよう義父に求められたが払えなかったため投獄されている、というのが映画スタート時に主人公が置かれた状況。保釈じゃなくて休暇と言うからなんで囚人が休暇なんだ? と混乱した。で、新しい恋人の女性が金貨の入ったバッグを拾ったことから、これを盗んで返済にあてれば自由になれる、と主人公は目論む。しかし次第に罪悪感が募り、盗みはやめて正直にバッグを拾った旨を町中に貼り紙するとやがて持ち主を名乗る女性が姿を現す。このあたりまでは退屈で、何度か寝そうになった。イランはペルシア語? 抑揚に乏しく聞こえ、眠気を誘われる。

 

面白くなってきたのはこの持ち主の素性が怪しい…となってから。捜しても見つからない彼女の代理を立てて自身の「善良さ」(かっこつきの善良さ)を証明しようとあれこれ画策していく展開は嘘をつけばつくほど泥沼にはまっていくようで見ていて楽しかった。彼を利用しようとする周囲の思惑も事態を混乱させる。主人公は偽りの善人か、根っからの嘘つきか。貼り紙の連絡先を姉の番号ではなく刑務所の番号にした理由は本当に彼の主張どおりだったのか、それとも刑務所を通してアピールするのが狙いだったのか、どちらかで全然彼のキャラクターは変わってくる。バッグの「持ち主」(かっこつきの持ち主)も、彼女が他人の善意を利用することを何とも思わない悪党か、それとも困窮の挙句に思い詰めた行動だったのかで全然キャラクターは変わってくる。せっかく防犯カメラ映像の写真を持っていたのだから最後気づくのかなと思いきやそうでもなく。ラストは尻すぼみだった。

 

ワクチン接種3回目

2回目のワクチン接種から半年以上が経過、自治体から3回目の案内が来たので予約して打ってきた。2回目までは予約サイトが混雑のため重く、思うような予約が取れず、結果車で30分くらいかかる市内の総合病院へ行く羽目になったが、3回目は混雑なくスムーズに近所のクリニックを予約できた。自転車なら自宅から5分程度の距離。自治体からの案内には、このクリニックはかかりつけの患者のみ受け付けていると記載されていた。自分は何度か体調不良の際ここを訪れていて、自分の中ではかかりつけ医だと認識している。が、念の為予約する前に自分がかかりつけ患者か否か確認の電話をかけた。すると現在はとくにそういう区別はせず予約があれば受け付けているとの返事だった。近所にもう一軒クリニックがあるのだが、そちらのサイトを見るとかかりつけの患者のみ受け付けている、ワクチン接種に関する電話での問い合わせは遠慮してくれとあって取り付く島もなかった。

 

前日は飲酒せず早めに寝た。受付で接種に来た旨を告げ10分程度待つ。名前を呼ばれて先生の問診。副反応何かあったかとの問いには腕が痛くなったくらいですねと。一旦待合室に出てナースに呼ばれるまで待機。ここのナースは顔見知り。若い頃だと自意識から避けたかもしれないがおっさんになって自意識が薄れてしまったので(他人は誰も俺のことなんて何とも思っちゃいねえし、俺も他人のことなんざ何とも思わねえ)、それより近所であることを優先してここへ来た。向こうは忙しいだろうし、注射は流れ作業だし、感染症流行下だしで世間話をする暇もない。挨拶して終わり、そんなもん。打ったのはファイザー製コミナティ。別に狙ったわけではなく、巡り合わせならモデルナでもいいかなと思っていたのだが(交互摂取の方が効果が高いとかいう知見をいつか何かで読んでいたので)タイミング的に3回目もファイザー製になった。でも今回は前回までと違って注射時に痛みを感じなかった。

 

別室にて15分ほど待機。同じ時間帯の予約者では自分が最後だったらしくすでに5人くらいいた。タイマーが鳴って順番に出ていく。待ってる間にスマホで3回目副反応を検索。頭痛、発熱、倦怠感、腕の痛みなど前回までとほぼ同じ。3回目ゆえに突出した副反応はない模様。タイマーが鳴るとナースが来たので頭を下げて退出。帰り道、スーパーで昼飯を買う。ユンケル、ポカリ、水、ウィダー、レトルトおかゆカップ味噌汁はすでに用意済み。帰宅して十三機兵防衛圏をやりながら経過観察。腕の痛みはなく、だるさやむかつきもなく。体温も平熱。

 

摂取から5時間が経過した午後5時頃眠くなり一時間ほど昼寝。起きると少し腕に痛みがあった。飯を食い、風呂に入り、夜10時頃ごろごろしていたら徐々に頭痛が。熱は36.5度。ユンケルを飲んで眠る。深夜3時、暑くて目が覚める。トイレへ。頭痛と倦怠感。自分がたまになる左目の奥が痛くなって目を開けていられない頭痛とはまた違う具合の痛み。熱っぽさがあり、体温を測ると37.2度。大したことない微熱だが自分は滅多に37度を超えないので驚く。朝起きてこの状態なら会社を休むだろうレベル。常備しているロキソニンムコスタを飲む。ポカリで水分補給。甘くて胸がむかつくことはなく。寝転がって読書、しかし目はページ上を滑りあまり頭に入ってこない。何度もトイレへ行って排尿。この頃には腕の痛みはほぼなくなっていた。明け方、腹が減ったので冷凍のグラタンとカップ味噌汁とバナナを食べる。水分補給も。その後就寝。

 

昼過ぎに起きると頭痛は消えており体温は36.4度に。腕の痛みも倦怠感もほぼ消えていた。スーパーへ買い出しに行く。読書、ゲームなどしてだらだら過ごす。夕方、新しく買ったカメラとレンズの試し撮りも兼ねて30分ほど散歩へ。暑いので帰る頃はだるくなった。日中はTシャツ一枚で過ごせる陽気。

で、今午後6時。少し腕に痛みというか違和感は残っているものの体調は普段通りといっていい。ワクチン接種証明アプリを更新すると3回目接種済みの表示に。大型連休前に済ませてしまいたかったのでとりあえず一安心。今回消費したのはウィダー1パック、ユンケル1本、ポカリと水を各1本、ロキソニンムコスタを各1錠。今日も飲酒はせず様子を見る。

 

ワクチンについては以上。以下はカメラの話。先日OM SYSTEM OM-1とM.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PROのレンズキットを購入。半導体不足の影響か、入荷は1ヶ月先とヨドバシから連絡が来ていたがなぜかそれから1週間と経たず届いた。このレンズはずいぶん評判がいいようだが今のところ自分にはまだそのよさがよくわからず。広角から接写までこなせるのは使い勝手いいが、思ったほど寄れない、思ったより暗い、何より重い。レンズが垂れるので腕で支えながら歩いていたら腕がだるくなってしまった。軽くて小さいというミラーレスの長所が台無し。重くてデカいカメラが嫌でD7200売ってE-M10 MarkⅡ買ったのに。これぶら下げて散歩は厳しい。考えよう。

散歩中に発見。何かの儀式の痕跡。

 

 

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アメリカは映画の国──『ビデオランド』を読んだ

 

日本でレンタルビデオがもっとも流行ったのは(レンタルCDもそうだろうが)90年代だろう。当時高校生だった自分は映画を見たくなると近所のTSUTAYAや地元チェーンのレンタル店に自転車で向かい、棚に並んだソフトのタイトルを端から眺め、面白そうなのを見つけると手に取ってパッケージ裏の説明書きを読んで、これと思ったのを借りたものだった。何を借りたんだったか、今ではもう全然覚えていないがホラーやスリラーを好んで借りていたような記憶がある。ツインピークスエヴァは(DVDではなく)ビデオで借りて見た。インターネットがなかったあの頃、どうやって映画の情報を得ていたのか、今ではもう思い出せない。携帯電話のない時代にどうやって待ち合わせしていたのか今では思い出せないのと同じように。TSUTAYAじゃない別の店はマニアックな映画も多数揃っておりスタッフのおすすめコーナーというのもあった。そこから好みなのを選んだりもした。最後にDVDをレンタルしたのはいつだろう。十年、いやもっと前かもしれない。高速回線普及によって身近になった映像配信サービスなら24時間365日、自宅にいながら月額で映画を見られる。DVDレンタルは返却がだるい。これは図書館にも言えるのだが借りるのはいい、返すのがだるい。期限があるからだろうか、心理的な負担があり。TSUTAYAのレンタルサービスではポスト投函で返却できるのもある。アメリカには街中にボックスがありそこでレンタルと返却ができるサービスがあるという。

 

本書はアメリカのレンタルビデオ衰退の記録。状況は日本と同じで90年代を頂点にして彼の国のレンタルビデオ店はその数を全盛期から大きく減らしており大手チェーンが廃業するなどしている。感染症パンデミックも映像配信サービスの伸長に大きく影響しただろう。80年代後半から90年代の全盛期に個人が始めたレンタルビデオ店が大手資本のチェーン店に潰され、その大手も需要の減少により存続が危うくなっている。少なくとも都市部に関しては大体そんな状況らしい。今でもしぶとく存続しているのは超がつくほどマニアックな店(資料館的な意義も備えている)か、スモールタウンで地域密着経営をしている個人店。前者の代表がシアトルにあるアメリカ最大のレンタルビデオ店スケアクロウ。二階建て、総売場面積は770平方メートル、11万本以上の品揃え(大半はDVDだが17000本はDVD化されていないためビデオテープ)、カフェも併設されている。スタッフは皆「映画カルト」でこの店で働いていることに誇りを持っている。アレキサンドリア図書館に擬えられ、アラスカやカナダからも客が来店し、著名な映画人たちも多数来訪する「ビデオの聖地」。映画文化的に重要な施設であるがリーマンショック以降は厳しい経営が続いているという。後者の地域密着型の店舗ではレンタルの傍ら雑貨や銃を販売したり、コミュニティの催しのチラシが置いてあったり、兼業とりわけ日焼けサロンを併設していたり(アメリカ南部の兼業店舗はこの組み合わせばかりらしい)、品揃えも地域の特徴を反映する。アーバン映画(都会の黒人を描いた映画)、ハンティングや釣りのビデオなど。言うまでもなくこれら店舗の経営も厳しく、「レンタルビデオだけで生計を立てていることを条件にすると、スモールタウンのビデオ店などというものはもはや存在しない」状況。

 

「映画はアメリカにおいては、間違いなく文化の中心を占めている」、そう書いたのは瀬戸川猛資だった。アメリカのレンタルビデオ店は映画好きの客とスタッフが映画について話し合う社交の場でもあった。いわば映画好きが集う公共のたまり場。映画は衰退していない。90年代以前も、90年代も、そして今も、人は映画を好んで見ているし飽きてもいない。少なくともアメリカ人は今でも動画視聴に強い関心を持っている。にも関わらずレンタルビデオ店が衰退したという事実は何を物語るのか。

私たちは家庭でも、ほかのどこでも、映画を観ることが好きだしコンテンツを選ぶことにも飽きてない。ということはつまり、レンガとモルタル造りのビデオ店が廃れたのは、映画が廃れたのではなく、なにか別の衰退を指している事になる。そう、衰退したのは公共の場でのショッピング、有形のメディア、商品を在庫する物理空間としての店と建物、そしてそれらが可能にした社会的相互作用とその価値なのである。

ソフトが物体という有形のメディアから配信という無形のメディアへと変化したのにつれ映画について語り合う場も現実からネット上へと移行した。インフラが人の営みを規定していく。現代の言説はネット上のレビューや星の数、SNSでのクチコミ(あてにならない)などであり、人と人の相互作用もメディア同様無形化しつつある。

 

 友人や恋人と<ネットフリックス>で何を見るべきか、<ウォルマート>でどのブルーレイを買うべきかといったやりとりは、いまではさまざまな場面に分かれてもはやビデオストアの店先にはない。店員とのちょっとした会話も失われた。むろん店員との長話に興じる客もそんなにはいないものだが、(私自身がそうだったように)店員という存在を信頼し、好もしく思う客もいたのだ。<ムービー・ギャラリー>だけで一万九〇〇〇名以上が働き、レンタルビデオ店一般でいえば一五万人以上が雇用されていた。今、その数は約半分だ。あの人々は、いまどこで何をしているだろう。あの会話はどこにいってしまったのだろう。漠とした思い出以外に、あれらの出逢いはどのぐらいどんなふうに痕跡を残しているだろうか。

映画をレンタルする、という終わりつつある一つの文化(というと大袈裟だが)に対するノスタルジー。表紙の印象的な写真は廃業し、取り壊されるでもなく放置されたレンタルビデオ店の日に褪せた棚。往時は胸を昂らせてその棚を物色する人が大勢いたのだろうが。栄枯盛衰。

 

日本にはスケアクロウのようなビデオ店ってあるのだろうか。古本屋ならありそうにも思えるが単独の店舗ではなく神保町全体とかになるのかな。配信が主流になって以降、ブルーレイソフトは登場時より低価格になった。ありがたい。しかしかつてなら付録として付いていた冊子がコストカットなのかなくなってしまいケースを開けてもディスクのみで味気なくなった。映画を所有する、という価値観自体が時代遅れになりつつあるのかもしれないし、経済合理性が優先される社会になったということなのかもしれない。

 

多分自分の人格形成にも映画は大きく関わっている。十代の頃から熱烈な映画好きではなかったけれど定期的に映画を見てきた。そしてレンタルビデオはその「見る」に大きく貢献してくれた。レンタルで初めて見た映画は近所の個人経営店で父親が借りてきたエイリアン2だった、と思う。一泊二日で700円くらいした気がするがなにぶん当時小学生だったので記憶は怪しい。レーダーは反応してるのに敵の姿が見えないとか、エイリアンの巣とか、ビショップのアレとか、小学生にはめちゃくちゃ怖かったけど目を離せなかった。今でも大好きな映画。振り返るにあの映画が自分にとっての原風景的?映画かもしれない。

 

 

本書の趣旨とは少し違うがビデオに関するドキュメンタリー。

 

 

アメリカは映画の国であり幽霊の国でもある。

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久しぶりの池袋でヤベー映画『TITANE/チタン』を見てきた

グランドシネマサンシャインには2019年に『ジョーカー』のIMAXを見た一度きりしか行っていない。国内最高峰のIMAX設備らしいが当日は台風で大雨、観客は十人もいなかったので存分に空間と映画を満喫できた。以来行っていないが池袋は同じ埼玉県、いつかまた行くだろうと思って有料会員のままでいたらコロナ禍に、でも年会費500円だからと2年間会費を払っていたらポイントが溜まっていて一本無料になっていた。見たいけれど近場で公開していないから配信まで待つつもりだったジュリア・デュクルノー監督の新作『TITANE/チタン』がかかっていると知り、久々に池袋へ。池袋自体、2019年に映画を見に行って以来である。間違って西口に出たら現在地を見失って戸惑った。埼玉県なのに馴染みがない。早めに来たので往来座ジュンク堂に寄った。無敵家はかつて常に長蛇の列だったのにこの時は日曜夕方で15人くらいだった。ジュンク堂で欲しかった本を何冊か購入。レジの行列が物凄く、セルフレジで30人くらい、有人レジはもっと。一階でしか会計できないから自然そうなるのだろうが列を見てげんなり。買った本は配送してもらった。

 

で、久々のグランドシネマサンシャインへ。前に来たときは平日の昼頃だったか、ガラガラでロビーにもほとんど人がいなかったがこの日は打って変わって人が溢れていた。コナンの新作が公開されたらしいのでさもありなん。『TITANE/チタン』はというと観客30人くらい。都内の映画館にしては入っていなかったのでは。新宿とかこれ見る人いねーだろーなーって映画でもほぼ満席になったりする。カップルも多かった。映画の前知識はほぼない状態で見に来たが、序盤に結構なゴア描写があり退席する人もいたと聞いていたのでそれも少し意外だった。まあ他人のことはどうでもいい。『サタンタンゴ』にもカップル来てたしな。

 

デュクルノー監督の『RAW 少女のめざめ』は自分のオールタイムベストと言っていい映画である。その監督の新作で、カンヌのパルムドール、ハードルはかなり上がっていた。が、見終わってみると…うーん…。

直後の感想。難解。しかし退屈ではなかった。108分の上映中飽きずにスクリーンを見ていられた。見ている最中何度も思ったのは「変態映画じゃん」。見終わってすぐ思ったのは「やべーなこれ」。

 

散漫で断片的な印象しか残っていないので感想を文章にまとめるのが困難。公式サイトの「完全解析ページ」を参照しつつ自分なりに箇条書きでだらだらと。

gaga.ne.jp

 

・冒頭、坊主頭の少女は『マーターズ』の拉致監禁されてた少女たちを連想した。

・主人公はシリアルキラー。交通事故の治療としてチタンを脳に埋め込んだのがきっかけでそうなったのか。冒頭、クセの強い子のような描写があったので元々素質があったのをチタンが助長したのか。

・主人公は凶器を常に身につけている。いかにもサイコパスっぽくすぐ人を殺すのはショッキング。腕力すげえ。

・上映中ふと斜め前にいたカップルが目に入ったのだがゴアシーンで女性の方は下向いてた。しかし途中退席者は出ず、それどころかエンドロールまで全員着席してた。バルト9で『ハウス・ジャック・ビルト』見たときも途中退席者はいなかったな。

・自動車ショーみたいな場でボンネット上で主人公が踊るシーンは、ポルノじゃん…と思った。

・自動車への性的な執着は『クラッシュ』の影響らしい。クローネンバーグの映画は見ていないがバラードの原作は読んでいる(内容は忘れた)。でも自動車へ執着するシーン自体はそれほど多くない。異常だから強く印象に残るが。

・自動車の子供を妊娠したってのは新しい設定では。血の代わりにオイルが流れる。ラストシーンは『ローズマリーの赤ちゃん』っぽい。でもこっちはちゃんと生まれた赤ん坊を映している。異形に生まれた赤ん坊を祝福するラストは同じ。

・ギャランス・マリリエは前作と同じくジュスティーヌという名前で登場。主人公のアレクシアやアドリアンという登場人物の名前も前作に出てきた。

・主人公と両親との関係が判然としない。とくに父親との。

・ユーモア多し。乳首のピアスに髪が絡まるとか、ジュピの間抜けな登場とか、「マカレナ」歌いながらの心肺蘇生とか、消防車上でのダンスで皆ドン引きとか、ラストシーンとか。ラストのあれは笑うシーンだろ?

・外科手術、ピアス、タトゥー、剃髪、性の転換、妊娠・出産、老化、と身体をめぐる意図がなんかありそう。

・男女問わずこれだけ裸体が映るシーンが多い映画を初めて見た。上映時間の半分以上映ってたんじゃなかろうか。

・ヴァンサンは老化および死の強迫観念に憑かれている。ステロイドを打つ一方で自殺も試みる。彼の死への願望と対極に描かれるアレクシアの妊娠・出産。

・ヴァンサンは引き取った偽アドリアンに対して「俺がお前を殴ったら俺は自殺する」と妙なことを妙なタイミングで言う。焼死体の子供の幻視といい、ヴァンサンはおそらく息子を虐待していた。もしくは殺している。その罪悪感が偽アドリアンを引き取った理由だろう。

・消防車上のダンスで皆ドン引きはジェンダーに関する社会的抑圧の表現…のようにも見える。

・自分が『RAW』に惹かれたのは青春期の葛藤や苛立ちという普遍的なテーマをカニバリズムという異常性を絡めて祝祭的に描いていたから。今作のテーマはなんだったのだろう。性を超越して無機物とも愛し合える、妊娠できるという価値観が新しかったのかな。自分にはよくわからん世界だったが…。

・今作は全編画面が暗い。前作にあった祝祭的描写は最後のダンスシーンくらい。音楽はよかった。

・結論:変態的なヤベー映画。

以上。

 

 

『RAW 少女のめざめ』の感想記事。

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桜を見る会2022

コロナ禍、三度目の春。桜の季節。「来年も一緒に桜、見れるといいね」と言ってくれる幼馴染の女性はいないので去年に続き今年も一人で近所の公園へ出かけた。今年は時間の都合がついたので咲き始めから散るまでを満喫できた。雪が降ったり、風の強い日も何日かあり、雨も降り、今日も見に行ってきたが咲き残りは6割程度といったところ。すぐに葉桜の季節になる。

 

 

3月21日

春分の日。晴れ、だったような記憶。出かけたのは16時頃。まだ大半が蕾だったが樹のそばをうろうろしていると犬の散歩をしていた男性から「あっちで咲いてるのありますよ」と教えていただく。それがこれ。

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3月27日

日曜日。たしか晴れ。まだ薄暗い5時半頃出かける。咲き始めていた。こんな早朝からでも散歩している高齢者をちらほら見かけた。撮りに行っている公園は結構な数の桜が植っており近所では名所と呼んでいい場所。桜のシーズンでなくても歩きやすいので自分の定番散歩コース。この日は人が少ないのが快適だったので普段は行かない方まで足を伸ばした。こんないい道、いい風景があったのか、と気づかされ、自分の目の節穴っぷりを知る。こんないい場所がすぐ近所にあるのだからわざわざ遠くへ出かけなくてもいいじゃんと。帰る頃、7時前くらいだったか、その頃になるとだいぶ人が増えてきた。

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3月29日

曇り。今年の桜のシーズンはあまり好天に恵まれなかった印象。暖かかったり寒かったりで気温も安定せず。毎年この時期はこんなもんだったっけか。忘れるので書いておく。Twitterには縦で貼ってしまったがこの写真はたぶん横が正しい。

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3月31日

火曜日。晴れ。だいぶ咲いた。見頃としてはこの日がベストだったか。公園には子供とその保護者が大勢いた。満開の桜は見ていると圧倒されて燥ぐような気分になるので苦手なのだが今年はそういう気分にならなかった。図太くなったか、感性の鈍磨か。「花ざかりの森」のエピグラフ、「かの女は森の花ざかりに死んでいった、かの女は余所にもっと青い森があると知っていた」をふと思い出した。

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4月2日

土曜日。晴れ。8時頃出かける。週末ということもありこの時間でも老若男女だいぶ出ていた。引き続き満開だがソメイヨシノは散り始めていた。代わって元気だったのが白い花の、これは山桜でいいのだろうか。調べたところではそうらしく思うが。毎度わーきれいで終わりになってしまうので花の名前を勉強しないと。

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4月5日。

火曜日。晴れ。昨日まで寒かったのに今日は急に暖かく。気温差8度。明日はさらに暖かくなり以降春の気温で安定していく様子。一昨日、昨日と二日続けてかなり雨が降ったのもありだいぶ散ってしまった。今日はあまり撮る気分になれず、ぶらぶら散歩しておしまい。歩道は花びらが敷かれてピンク色、ベンチに腰掛けて休憩しているとちょっと風が吹くたびに花びらが目の前でさーっと散っていき、その光景は幻想的ですらあった。陽気がいいのもあって半ば夢を見ているような気持ちに。ようやく冬が終わってくれたとの安堵も。

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また来年に。

 

 

 

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中年の生存戦略を尾崎一雄に学ぶ──『新編 閑な老人』と『暢気眼鏡・虫のいろいろ』を読んだ

 

 

荻原魚雷さん編集の尾崎一雄の文庫が出たので購入、ついでに岩波文庫のも再読。昨年読んで感銘を受けた荻原さんの『中年の本棚』でも尾崎一雄は紹介されていた。今年はまだ殆ど読めていないが中年に関する本は昨年に続き今年も、来年以降も意識して読んでいきたいと思っている。いずれは老年本にシフトするだろうが。それとも老眼で読書から遠ざかるか。

 

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放蕩無頼の二十代を過ごした尾崎一雄は45歳のとき胃潰瘍の大出血で倒れ、当時住んでいた上野から郷里の小田原市下曽我疎開する(1944年)。胃潰瘍は「先ず不治といっていい病気」で、医者からは余命3年の宣告を受ける。長くは生きられぬと覚悟し、その年、とにかく5年生き抜こうと「生存五カ年計画」に入る。21歳で肋膜炎にかかり中年になってからは胃潰瘍、若くして父を亡くし弟や妹や我が子にも先立たれた尾崎一雄にとって病気そして死は生きているあいだ常に身近な存在だった。それだけに病気、死との付き合い方は心得ていた。

油断は禁物だが、気負けもいけない。土俵をあっちこっちと逃げ廻る、いなす、相手の力をまともに受けぬ工夫をし、水を入れてやろうと企む。何とか欺し欺し、相手ともつれ合いながらも定命というゴールまでもっていってやろうとの肚だ。

 

「美しい墓地からの眺め」

 

病気のベテランである尾崎一雄生存戦略。それは無理をしないこと、自分のペースを守ること、そして疲れたら休むこと。自分の中に「自動制御器のようなもの」を取り付け、過剰な活動によって身体の許容限度を越えそうになると「私の活動はギーと止まる」。冬になると「冬眠」と称して仕事を減らし、外出も極力控えた。45歳にして余命3年の宣告を下された尾崎が世を去ったのは病に倒れてから40年近くも後のこと。生存五カ年計画は第一次、第二次と続いていった。なまじ体が丈夫だと無理できてしまうがために却って早死にする、無理はきかぬ体とわかっているから休み休みやって結果長生きする、そういうこともあるのかもしれない。とはいえ作品を読んでいる限り尾崎一雄が長生きを目的に極端な節制をしていた様子は窺えない。若い頃は大酒飲みだったが大病してからはやめた、しかし晩年にはまたウイスキーを飲むようになっていたらしいし煙草も吸っていた。

 一寸先は闇、と人は云うが、この言葉に間違いはない。われわれは昨日があったから明日もある筈、という、何の証明も経ぬ仮構を信じて毎日を生きている。そして、ある日、突然明日を見失う。

 

「厭世・楽天

 

死を常に頭の片隅に置いているような尾崎一雄の作品には自然に題材をとったものが数多くある。「苔」「虫のいろいろ」「蜂と老人」などそのままのタイトルの短篇には下曽我の家の庭やその周辺での植物および昆虫の観察がテーマになっている。「平凡な草でも木でも、よく見ていると面白い」。「閑な老人」という短篇は木と虫についてしか書かれていない。それら「平凡な木や草」、昆虫の生態について書かれている短篇群の根底には、この作家の、

 自分が、木や草や虫などに心惹かれるのは、彼らが、生命現象を単純明快に示してくれるかららしい

 

 巨大な時間の中の、たった何十年というわずかなくぎりのうちに、偶然在ることを共にした生きもの、植物、石、──何でもいいが、すべてそれらのものとの交わりは、それがいつ断たれるかわからぬだけに、切なるものがある。在ることを共にしたすべてのものと、できるだけ深く濃く交わること、それがせめて私の生きることだと思っている。

との思いが流れている。

 

尾崎一雄を一言で表現するなら、肯定の人、と自分ならいうだろう。だが彼の肯定はそもそもの最初からあったものではなく、恐怖、不安、厭世、それらが極まった挙句に逆転して得た肯定である。「人間や人生に無闇矢鱈とケチをつけるから」日本の自然主義作品は好きでないといい、「矢鱈と社会にケチをつける気風」があるからプロレタリア文学も好きでないという。一方で尾崎一雄はというと、「人間は好いものだ、生きていることは好いことだ、と云う至極簡単な気持から小説を書いている」。自分の小説を読んだ読者に感じてもらいたいことは、「人間や人生への肯定感、相互の信頼感、善意である」。こういう向日性が尾崎一雄の小説を読んでいい気持ちになれるものにしている。「何でも、常識でよく判断するがいい」が尾崎の父親の遺言だったが、まさにそういう、地に足の着いた、苦労を身をもって知っている、いい意味で常識ある作風が今の自分には好ましく感じられる。

 

尾崎一雄に倣って自分も、無理せず、マイペースに、きちんと休みながら、中年期を、そしてあるならその先の日々を生きていきたい。中年を生きる指針として尾崎一雄は今後も読んでいこう。