アメリカは映画の国──『ビデオランド』を読んだ

 

日本でレンタルビデオがもっとも流行ったのは(レンタルCDもそうだろうが)90年代だろう。当時高校生だった自分は映画を見たくなると近所のTSUTAYAや地元チェーンのレンタル店に自転車で向かい、棚に並んだソフトのタイトルを端から眺め、面白そうなのを見つけると手に取ってパッケージ裏の説明書きを読んで、これと思ったのを借りたものだった。何を借りたんだったか、今ではもう全然覚えていないがホラーやスリラーを好んで借りていたような記憶がある。ツインピークスエヴァは(DVDではなく)ビデオで借りて見た。インターネットがなかったあの頃、どうやって映画の情報を得ていたのか、今ではもう思い出せない。携帯電話のない時代にどうやって待ち合わせしていたのか今では思い出せないのと同じように。TSUTAYAじゃない別の店はマニアックな映画も多数揃っておりスタッフのおすすめコーナーというのもあった。そこから好みなのを選んだりもした。最後にDVDをレンタルしたのはいつだろう。十年、いやもっと前かもしれない。高速回線普及によって身近になった映像配信サービスなら24時間365日、自宅にいながら月額で映画を見られる。DVDレンタルは返却がだるい。これは図書館にも言えるのだが借りるのはいい、返すのがだるい。期限があるからだろうか、心理的な負担があり。TSUTAYAのレンタルサービスではポスト投函で返却できるのもある。アメリカには街中にボックスがありそこでレンタルと返却ができるサービスがあるという。

 

本書はアメリカのレンタルビデオ衰退の記録。状況は日本と同じで90年代を頂点にして彼の国のレンタルビデオ店はその数を全盛期から大きく減らしており大手チェーンが廃業するなどしている。感染症パンデミックも映像配信サービスの伸長に大きく影響しただろう。80年代後半から90年代の全盛期に個人が始めたレンタルビデオ店が大手資本のチェーン店に潰され、その大手も需要の減少により存続が危うくなっている。少なくとも都市部に関しては大体そんな状況らしい。今でもしぶとく存続しているのは超がつくほどマニアックな店(資料館的な意義も備えている)か、スモールタウンで地域密着経営をしている個人店。前者の代表がシアトルにあるアメリカ最大のレンタルビデオ店スケアクロウ。二階建て、総売場面積は770平方メートル、11万本以上の品揃え(大半はDVDだが17000本はDVD化されていないためビデオテープ)、カフェも併設されている。スタッフは皆「映画カルト」でこの店で働いていることに誇りを持っている。アレキサンドリア図書館に擬えられ、アラスカやカナダからも客が来店し、著名な映画人たちも多数来訪する「ビデオの聖地」。映画文化的に重要な施設であるがリーマンショック以降は厳しい経営が続いているという。後者の地域密着型の店舗ではレンタルの傍ら雑貨や銃を販売したり、コミュニティの催しのチラシが置いてあったり、兼業とりわけ日焼けサロンを併設していたり(アメリカ南部の兼業店舗はこの組み合わせばかりらしい)、品揃えも地域の特徴を反映する。アーバン映画(都会の黒人を描いた映画)、ハンティングや釣りのビデオなど。言うまでもなくこれら店舗の経営も厳しく、「レンタルビデオだけで生計を立てていることを条件にすると、スモールタウンのビデオ店などというものはもはや存在しない」状況。

 

「映画はアメリカにおいては、間違いなく文化の中心を占めている」、そう書いたのは瀬戸川猛資だった。アメリカのレンタルビデオ店は映画好きの客とスタッフが映画について話し合う社交の場でもあった。いわば映画好きが集う公共のたまり場。映画は衰退していない。90年代以前も、90年代も、そして今も、人は映画を好んで見ているし飽きてもいない。少なくともアメリカ人は今でも動画視聴に強い関心を持っている。にも関わらずレンタルビデオ店が衰退したという事実は何を物語るのか。

私たちは家庭でも、ほかのどこでも、映画を観ることが好きだしコンテンツを選ぶことにも飽きてない。ということはつまり、レンガとモルタル造りのビデオ店が廃れたのは、映画が廃れたのではなく、なにか別の衰退を指している事になる。そう、衰退したのは公共の場でのショッピング、有形のメディア、商品を在庫する物理空間としての店と建物、そしてそれらが可能にした社会的相互作用とその価値なのである。

ソフトが物体という有形のメディアから配信という無形のメディアへと変化したのにつれ映画について語り合う場も現実からネット上へと移行した。インフラが人の営みを規定していく。現代の言説はネット上のレビューや星の数、SNSでのクチコミ(あてにならない)などであり、人と人の相互作用もメディア同様無形化しつつある。

 

 友人や恋人と<ネットフリックス>で何を見るべきか、<ウォルマート>でどのブルーレイを買うべきかといったやりとりは、いまではさまざまな場面に分かれてもはやビデオストアの店先にはない。店員とのちょっとした会話も失われた。むろん店員との長話に興じる客もそんなにはいないものだが、(私自身がそうだったように)店員という存在を信頼し、好もしく思う客もいたのだ。<ムービー・ギャラリー>だけで一万九〇〇〇名以上が働き、レンタルビデオ店一般でいえば一五万人以上が雇用されていた。今、その数は約半分だ。あの人々は、いまどこで何をしているだろう。あの会話はどこにいってしまったのだろう。漠とした思い出以外に、あれらの出逢いはどのぐらいどんなふうに痕跡を残しているだろうか。

映画をレンタルする、という終わりつつある一つの文化(というと大袈裟だが)に対するノスタルジー。表紙の印象的な写真は廃業し、取り壊されるでもなく放置されたレンタルビデオ店の日に褪せた棚。往時は胸を昂らせてその棚を物色する人が大勢いたのだろうが。栄枯盛衰。

 

日本にはスケアクロウのようなビデオ店ってあるのだろうか。古本屋ならありそうにも思えるが単独の店舗ではなく神保町全体とかになるのかな。配信が主流になって以降、ブルーレイソフトは登場時より低価格になった。ありがたい。しかしかつてなら付録として付いていた冊子がコストカットなのかなくなってしまいケースを開けてもディスクのみで味気なくなった。映画を所有する、という価値観自体が時代遅れになりつつあるのかもしれないし、経済合理性が優先される社会になったということなのかもしれない。

 

多分自分の人格形成にも映画は大きく関わっている。十代の頃から熱烈な映画好きではなかったけれど定期的に映画を見てきた。そしてレンタルビデオはその「見る」に大きく貢献してくれた。レンタルで初めて見た映画は近所の個人経営店で父親が借りてきたエイリアン2だった、と思う。一泊二日で700円くらいした気がするがなにぶん当時小学生だったので記憶は怪しい。レーダーは反応してるのに敵の姿が見えないとか、エイリアンの巣とか、ビショップのアレとか、小学生にはめちゃくちゃ怖かったけど目を離せなかった。今でも大好きな映画。振り返るにあの映画が自分にとっての原風景的?映画かもしれない。

 

 

本書の趣旨とは少し違うがビデオに関するドキュメンタリー。

 

 

アメリカは映画の国であり幽霊の国でもある。

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