ひさびさにアタリのホラー映画『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』感想

あんまり期待していなかったけど見たら面白かった。

 

金曜のレイトショー。わりと客が入っていた。若い男女が多かったのは意外。たまたまか。普段俺が見に行く上映回は中年以上の一人客ばっかりなことが多いので新鮮だった。

 

10代の若者たちがお遊び感覚で降霊術をやったら取り返しのつかない事態になってしまう、というストーリー。いわくつきの手の模型(本物の人間の手らしいが詳細は不明)を握って「トーク・トゥ・ミー」と口にすると霊が出現、その霊を体内に呼び込むとトリップ? する。そのヤバい感覚が病みつきになって主人公は降霊術にハマっていく。

 

この降霊術がドラッグを暗示しているのは明白(この書き方は妙だ)。降霊会はドラッグパーティ。作中では主人公の親友の母親が何度も薬物やパーティの禁止を口にしている。本人は霊を見ているのに周囲の人間には何も見えない、その事態を面白がるシーンは象徴的。トリップしている人間はあんなふうに他人からは見えるのだろう。主人公はハマって何度も自分に降霊させ、それを親友は危ぶむ。「お堅い」彼女は決して降霊術に手を出さないし、居合わせた自分の弟がそれに参加することも許可しない。15歳未満らしい、まだ幼さの残る顔をした少年は、好奇心と己のタフっぷりを周囲に認めて欲しい気持ちから降霊術を体験したがる。ドラッグに手を出す最初の動機に酷似している。みんながやってるから自分もやってみたいという好奇心と、自分もやらなきゃ仲間はずれにされるのではないかという恐怖心と、自分もグループの一員として認めてほしいという承認欲求と、一人前のタフな男として見られたい、というマチズモから手を出す。そして主人公は、彼の姉である親友が席を外した隙に「ちょっとだけなら」と安易な気持ちで彼を降霊術に参加させる。それがどんな結末を招くのかろくすっぽ考えずに。

 

主人公は母親を亡くしている。父親とはうまくいっていない。喪失と不和の感情が十代の微妙な彼女の精神を危うくしている。彼女が降霊術にハマるのはその寂しさを埋めたかったから。この理由もドラッグに手を出すそれと共通している。体験後、彼女は幻視や幻聴を日常的に体験するようになる。悪霊によるものとして映像的に表現されているが幻覚症状だろう。彼女が悪霊だと思っているのはドラッグが見せる幻。無数の虫が体を這い回っているとか自分を笑う声が聞こえるとかと同じように、人の足を舐め、扉を叩く音を聞く。

 

悪魔や悪霊の存在を幻覚とも解釈できる曖昧な表現をしている点で、この映画は『エクソシスト』と似ている。『エクソシスト』の少女は悪魔に取り憑かれたという。だが、父親はおらず、母親は女優の仕事で忙しく、母親に言いよるプロデューサーは性的な目で自分を見てくる…それらによって精神的に不安定になった少女が失調した様子を描いた映画とも解釈できる。ポルターガイスト現象や空中浮遊などは映画的な表現ということにすれば、の話だが。何年か前に『エクソシスト』を見返したとき、こんなに母娘の家族シーンが多い映画だったか、と意外の感を持った。『トーク・トゥ・ミー』の悪霊も、ただのドラッグが見せる幻と解釈できる。というかこの映画に関しては明らかにその意図で作られている。

 

不幸な境遇の少女が主人公なのだから、見ている最中彼女に同情的になってもよさそうなのに、彼女の弱さと頑なさと愚かさがどうしてもそうさせてくれないのは可笑しかった。ことごとく選択肢を間違え、その結果不幸を招く、疫病神的な主人公。親友の弟に降霊術を許可したり、50秒以内と自分で決めた制限時間なのに勝手な都合でそれを延長したり、今は親友と付き合ってる元彼を自宅に連れてきたり、悪霊の教唆に何度も従ったり。最後のはしょうがないとしても、他のに関しては、それやったらどうなるかちっとは考えろや、頭使えや、とイライラする。このイライラが楽しい。馬鹿なやつ、次はどんな馬鹿なことをするんだろう、そう思いながら映画を見る楽しさ。

 

ストーリーはいろいろツッコミどころあるんだが(そもそもあの手は結局何だったのか)、映像がいいのでそっちに気を取られ納得させられてしまう。やっぱり映画は画面の強さあってこそだな、との感を強くする。冒頭すぐの、車にひき逃げされて瀕死のカンガルーを発見する不快なシーン、ジャパニーズホラー的な一瞬だけ映る人影、頭突きを止めようと手を出して骨が折れるシーンの迫力、そしてラストの、部屋の照明がひとつまたひとつと消えていくシーン。ここは怖い。ああ、死ぬときってこういう感覚になるのかも、と思ったり。視界が暗くなって、声を上げても誰にも届かなくて…。暗闇の中を彷徨っていたらやがて遠くに明かりが見えてくる。その明かりに吸い寄せられて行ったらそこは…。

(物語的に)綺麗なラスト。

 

ストーリーの不快さといい、程よい恐怖感といい、こんなにいいホラー映画を映画館で見たのはひさびさな気がする*1。見てよかった。かなり満足。

 

 

 

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*1:去年のNOPEや今年のイノセンツにも感銘を受けたがホラー映画とは少し違う気がする

気が滅入ったから歩いた

 

どうにも滅入って仕方なかった。

原因はわかってる。

先週金曜にあった、上司との評価面談が面白くなかったからだ。

 

自己評価なんて概ねそんなもんなんだろうが、俺は俺なりにようやった感がある一年だった。それなりに評価されて然るべきと思っていた。が、どうにも相手はそうは思っていないどころか…まあそれ以上はここでは言うまい。とにかく、それは違うだろう、根拠は? と逆にこちらが聞き返したいくらいの話になって。音楽性の違いが浮き彫りに。好意的にとればまだまだやれるものと見てくれているとも取れるが、逆の意味に受け取ろうとすればそれも可能なわけで。ニンジンぶら下げて搾取しようって腹じゃねえの? との疑念が。組織ってのは恐ろしいものだから。

 

ここでの面談結果が来年の給与につながるので落胆が大きい。何と綺麗事言おうと組織による評価とは言葉じゃなくて金だろう。一年、異動もあったなかで俺はやることやったと思うがなあ…。

 

まあ俺には俺の言い分があるように相手には相手の言い分があるのだろう。それに上司だって人間、好き嫌いはあろう。俺はもともと人から好かれるタイプの人間じゃないってのも理解してる。

でも、それにしたってさあ…。

 

俺は、労働はクソだ、とは言わない。

労働は人生のいい暇つぶしになる。創意工夫を発揮する機会にもなる。それなくしては人生は長過ぎて退屈だろう。

だが、労働につきものの人間関係、これはクソだ。明らかにそうだ。

人間関係、とりわけ人間による人間の評価、これがクソすぎる。

AがBを評価する。Aに公平性はあるか? 人間のすることだからないだろう。

不公平と思ってしまえば納得はできない。金の絡む話でもあるのだから事は重大だ。

金曜日は家に帰ってから何度も、クソ、とか畜生、とか気づくと呟いていたのだった。

 

そんなんで週末は悶々としていた。

人に会って、ケンタッキーでチキンを食って(1週間早いな)、宮崎駿のドキュメンタリーを見て、少しは気が紛れた感なきにしもあらずだが、それでも愉快にはならなかった。日曜昼、俺としては久々に、猛烈に、明日仕事行きたくねえ感情に襲われた。

 

そのとき外出先(本屋)から電車に乗って最寄駅まで帰ってきたところで、とてもじゃないがこのまま真っ直ぐ家に帰る気になれず、駅を出ると、強風の吹くなか、発作的に家とは正反対の方向に向かって歩き出した。本が入った紙袋を手に提げたまま。

 

歩きたかった。

 

聞いたところによると20分程度の有酸素運動には軽めの抗うつ剤と同程度の効果があるという。それを思い出し、駅を出て少し行ったところにある川まで向かった。住宅街を歩く気にはなれなかったが川べりなら歩いていて楽しそうなイメージが頭に浮かんだ。自然はいい。人格がないから。ちょうど都合よくノースフェイスのゴアテックス上着アルパインパンツを身につけていた。靴がメキシコ66だったので底が薄くウォーキングするのに不安だったが。

 

風こそ強かったが陽が出ていたので歩いているとだんだん暑くなってきた。12月の昼下り、猛烈さのない日光を浴びながらセロトニンが分泌されるのを願った。川べりの歩道を子供たちが、犬の散歩をする人が、ジョガーが、時折通り過ぎる。しかしその数は少ない。俺は本屋のロゴが入った紙袋を右手に提げて、ひたすら早足に歩いた。だんだん着ているTシャツが汗ばんでくるのがわかった。20分くらい過ぎたあたりで飽きてきた。だがまだ自宅へは距離があった。

 

宝くじで億当たらねえかなあ、とか、優しい世界で暮らしてえなあ、とか、そんなことが頭に浮かんできた。煩わしい人間関係、わけても人からされる評価、こいつから自由になりてえなあとか。そんな思考も20分くらい歩いていたら疲れてきてどうでもよくなってきた。有酸素運動の効用か。30分くらい歩くと普段通らない道が徐々に見知った道に変わっていった。Tシャツ脱ぎてえ、水飲みてえ、横になりてえ、と考えることが現在の状況に関する物事へシフトしていったのはいい傾向だっただろう。家に着いても有酸素運動による爽快感みたいのは覚えなかったが、月曜日会社へ行きたくねえ気持ちは多少弱まった気がした。

 

晩酌をやめて40日くらい経過した。以前だったら酒飲んで気を紛らしたんだろうが今はそれもできない。酒飲んだって何の解決にもならない。明日の朝起きるのがつらくなるだけ。だから飲まない。

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日曜の夜は寝て起きたら月曜の朝で仕事だから、それ嫌さについ夜ふかししてしまう。明日のことを思えば早く寝たほうがいいとわかっているのだが。今夜はどうなるだろうか。

 

今から日曜の朝に時間が巻き戻らんかな、とか詮ないことを考えている。

 

僕の新車を紹介します



ヴェゼルe:HEV Z。FF車。

カラーはプレミアムサンライトホワイト・パール。

 

ハイブリッドモデルはe:HEV Xという別のグレードもある。Zの方が上位グレードなので価格は高くなるが18インチアルミホイール(Xは16インチ)、バックドア(テールゲート)がハンズフリー、ヒートシーター機能、その他諸々機能増しで価格差の価値は十分にあると思ったので選択。16インチと18インチだと見た目の印象全然違うのでそれが一番の決め手になった。

 

ヴェゼルを選んだ理由

セダンに乗っていたのでまた次もセダンを…と思ったのだが今は国産メーカーはどこもセダンに力を入れていない。SUVばっかり。流行なのだろう。できればトヨタかホンダの車を買おうと思っていたのでそうなるとカムリかカローラか、ホンダはセダン作ってない? シビックは俺にはスポーティ過ぎる。どれもイマイチでセダンは選択肢から消えた。となると流行りに乗ってSUVにするのがよさそうと思った。

 

マツダを選択肢から外したのは以前乗っていたときディーラーのサービスがあまりにクソだったから。ここの車は二度と買わねえと強く思った。サービスだけ考えればトヨタが一番でしょう。車は買って終わりじゃない。そのあともディーラーとの付き合いは年単位で続いていくわけで、そこで信頼持てないとちょっときつい。安い買い物じゃないしトラブルがあれば命に関わる。

 

ビッグモーターの一件があって以来どうにも中古車市場を信じられなくなったので中古の選択肢はなかった。それに今の中古車相場は高すぎる。

 

前まで乗っていたセダンはいい車で俺としては世界で一番カッコいい車だと思っており愛着は強かった。が、パーツ代は高いし樹脂部分が国産車より脆いように感じた。メンテナンスも面倒くせえというか…まあ終わったことだからもういい。とにかく、買うなら国産メーカーの新車がよかった。

 

予算は下取り抜きで300万から350万。そうなると選択肢は限られてくる。ヴェゼル、WR-V、カローラクロス、RAV4、そのあたりか。頑張ればハリアー(ガソリン)も? いやいや、走っているのを見かけるが俺にはでか過ぎる。あんまりでかいと駐車するときストレスなので避けたい。金があるならクラウンクロスオーバー一択だが、金ないし、でかい(長い)し、俺が買っても青空駐車になるからもったいない。クラウンレベルの新車はガレージに入れないと。最低でも屋根付きカーポート。

 

…と迷った末にヴェゼルにした。いや、選択肢が少ないのでさほど迷っていないが。久しぶりに国産メーカーのカーラインナップ見たけどずいぶん車種が少なくなったなあと寂しさを感じた。国力の衰えの反映だろうか。

 

できれば排気量2000cc以上がよかったが予算の都合がある。ヴェゼルにした決め手は顔がカローラクロスやRAV4より好みだったから。CX-5に似ているといえば似ている。

 

ディーラーへ行くとトントン拍子に話が進んで40日程度で納車できると言われる。コロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻の影響による半導体不足で納車は待たされるだろうと予想していたので嬉しい誤算だった。

 

付けたオプションおよびその使用感、評価

・フロントグリル

満足。ノーマルのグリルとは表情が全然変わる。こっちの方が凛々しくてカッコいい、と俺には思えた。ただホワイトパールだからそう感じたのであって濃い色の車だとノーマルとの違いは目立たなさそう。グリルを変えるとセットでエンブレムも変更になるため追加料金発生。

 

・ドアハンドル プロテクションカバー

満足。運転席と助手席のドアノブのボディ側に付けるカバー。ここ、乗るたび手で触る箇所だからどうしても爪で傷だらけになる。前の車が傷だらけになってしまったので次買う車には絶対付けようと思っていた。これより安いフィルムのもあったがすぐ剥がれそうなのでこちらを選択。

 

・Honda CONNECTディスプレー+ETC2.0車載器

満足。メーカーオプション。ナビとETC2.0車載器のセット。これ、ディーラーオプションの9インチナビとかなり迷った。一番の違いは前者がスマホ連動(アップルカープレイなど)を前提にした運用となっているのに対して後者は昔ながらのナビな点(前者にはCDトレイなし)。前者は要するにでかいスマホだと思うとわかりいい。Bluetooth連動でスマホ内の音楽を聴けるし、電話もハンズフリーで繋がるし、届いたLINEを読み上げてくれる(不完全だが)など面白みがある。ただ、YouTubeで比較動画を見ているとナビの性能的には後者の方が賢いというのを見かけた。ここが迷いの種になった。どんなに多機能でもナビにとって最重要なのってナビゲーション機能でしょ、それを基準に選ぶべきでは、と。ディーラーの担当者にもあれこれ質問して、でもETC2.0がセットで付いてくるし、スマホ連動は便利そうだし、なんならスマホのナビ使ってもいいし、せっかく久々に新車買うんだから最新機能を体験できた方がいいよな、と考え、迷った末こちらにした。結果的には正解だったと思う。今はまだナビをあまり使用していないので今後使用感を確認したい。

 

一つ重要なのは、CONNECTディスプレーはナビの地図更新を自動でやってくれる(ディーラーナビはディーラーでやってもらう)のだが、それをやり続けるにはHonda Total Careプレミアムの会員になって会費を払わないといけない(購入から1年は無料)。サブスクみたいなもん。ナビの地図更新の他にもいろいろ付加サービスがある。これを解約してしまうと地図は初期状態に戻ってしまうらしい。ということは実質的にはCONNECTディスプレー搭載車に乗っている限り払い続ける必要があるということ。

詳細は以下。

www.honda.co.jp

 

ETC2.0については今のところよくわからん。購入してから行き帰りの2回関越を走った。

 

・ワイヤレス充電器

満足。上記ナビにETCとセットで付いてきた。スマホの置き場所になっている。

 

ドライブレコーダー DRH-224SD+後方録画カメラ

不満。前後の2カメ。今回唯一不満なオプション。

不満点は2つある。まず使い勝手が悪い。でかいディスプレーがあるのに録画をそこでは見られない。アプリにwi-fi接続してスマホで見るか、microSDカードをUSBに挿してPCで見るかしかできない。純正オプションなのになぜ? しかもディーラーオプションナビなら対応の純正ドラレコの録画が見られるというのだから謎は増す。スマホで見られると言いながらアプリがすぐ落ちる。見て何秒かで落ちる。使い勝手悪すぎ。滅多に使うもんじゃないが、いざというときに簡単に見られないのは不便。カードを抜いてPCでも見てみたが、すると以降、ドラレコからエラーメッセージが出るように。1ヶ月点検の際に診てもらったが整備スタッフも原因不明という。結局初期化した。なんだったのか。またなったらと思うとだるくてもうPCで見る気が起きない。

2つめは画質の悪さ。200万画素とのことだが晴れた日中でもすれ違う対向車のナンバーが読み取れない。リアは近づくと読み取れる。5万くらいしたのに、前の車に付けていたパナソニックの1万くらいのドラレコの方が画質がよほどいい。調べるとケンウッド製らしく、カメラレンズメーカーとの差だろうか。ドラレコなんて基本普段は使わない装備ではある。だがいざ必要となればそれは緊急時なので、そのときに使い勝手が悪い、画質が悪いでは用を果たしていない。ドラレコに関しては後悔。ディーラーに頼めば自前のドラレコを付けてくれたりするらしいので交渉してそうするべきだった。

今後、改善されてせめてディスプレーで録画が見られるようになってほしい。

 

・フロアカーペットマット

満足…というか、これなくちゃ始まらねえというか。

 

・オールシーズンマット

満足。フロアカーペットマットの上から装着したラバーマット。とくに雨の日に乗り込んだとき砂利や芝がカーペットの目に入り込んでしまうことが多いので購入。汚れたら外して水洗い。ラゲッジルームもカーペットだけだったので汚してもいいようにラゲッジトレーを追加注文した。今度届く。

 

・マッドガード

満足…というか効果の実感は今のところなし。ボディを汚したり傷つけたくないから購入したがマッドフラップの方が効果高そう。街乗りメインなんでそこまでする気もないが。一説によるとマッドガード付けると空気抵抗が増えるぶん燃費が悪くなるらしい。

 

・プレミアム グラスコーティング グランデ

かなり満足。最長5年の光沢保証。雨の中走ると撥水して楽しい。水洗いだけで綺麗になる。前の車はフロントガラスに頓着せずにいたら油膜がひどくなってしまい雨の夜は視界が悪くて怖かった。大気中の油分の付着もあるだろうがワイパーが全体に伸ばしてしまうのもあると思う。ワイパーゴムは最低でも年1回交換必須。このへん以前はルーズだったので今後はマメにやりたい。

 

以上、オプションはドラコレ以外はどれも満足している。

 

1ヶ月乗ってみての感想

初めてのハイブリッドだったので静音なのにびっくりした。これ発車できるの? という驚き。燃費は今トータルで20.5キロ。高速乗ったときは25キロ代を叩き出した。車高は159cmと低めなのでSUVの割に視界のよさはない。多少シート位置が高いぶん前のセダンより運転しやすいかな? と思うものの誤差の範囲。停車時、前の車が発車すると教えてくれたり、ハンドル操作のアシストがあったり、停車時にブレーキから足を外してもクリープ現象なかったり、夜間対向車がないと自動でハイビームに切り替わったり、その他いろいろ運転しやすさはある。センサー系のアシストが大きい。オートクルーズ機能もたぶんあると思うんだがまだわかってない。取説もっとちゃんと読まないと。

 

寒い朝はハンドルヒーター、ヒートシーター機能が役に立っている。

音楽の再生がスマホからできるのは便利。それだけだとBluetooth接続と変わらないのだろうが一度ペアリング設定すれば次回以降は自動接続なので手間がない。最近はAmazonミュージックでYOASOBIばかり聴いている。

 

全体として満足。大事に乗っていこうと思う。

 

 

以下は車の写真が1枚あるのみです。

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懐かしさと可愛さと奇想が絶妙にブレンドされた世界──panpanya『商店街のあゆみ』

 

『ぱらのま』経由で『楽園 Le Paradis』を知りそこでこの可愛い少女が出てくる漫画の存在は知っていた。可愛い少女とリアルな背景の組み合わせ。でも読むまでにはいたらずこれまで来た。何かで(Xで?)今月新刊『商店街のあゆみ』が出ると知り、それまでなんとなくスルーしていたのに急に気になって買って読むことにした。

 

基本的に漫画は電子書籍でしか買わない。『ぱらのま』も『ベルセルク』も『チェンソーマン』も『ダンジョン飯』も『メイドインアビス』も『ひとりでしにたい』も『後ハッピーマニア』も桜玉吉も全部電子書籍で買っている。俺が今紙本で所有している漫画って吾妻ひでおの何冊かだけじゃないだろうか。

 

それなのに紙の本で買う気になったのは特典のイラストカードが欲しかったから。複数の販売店ごとにバージョン違いのイラストカードがあって、自分はとらのあなを選択、アカウントを持っていなかったので作った。特典のためにわざわざアカウントを作るなんて、ちょっと普段の自分の行動からは外れている。よっぽどそのとき欲しいと思ったのだろう。イラストカードを無事手に入れられて満足。

 

panpanya作品、初めて読んだが楽しい漫画だった。記事タイトルにしたように、どこか懐かしさを漂わせる世界でちょっと不思議な話(短編)が展開する。どの話でも主人公はおかっぱの少女。小学生らしいが大人びている。相棒は犬(レオナルドというらしい)。この巻では家や土地をめぐる話が多い。巨大な迷路の家、ロボ化する家、プラモデルの家、地図にない土地、植木鉢で育つビル、歩む商店街。植木鉢でビルを育てるってのはちょっと並の発想じゃない。すげえなあ。面白えなあ。と感嘆しながら読んだ。インフラの充実度を考えるとやっぱ集合住宅より戸建てだな、と思ったり(「戸建てのインフラを見くびったな」は本書中ベスト台詞)。

 

どの作品も短い分量の中に奇想が凝縮されていて楽しめたが、最後に収録の表題作がとりわけよかった。昭和的な商店街というものへのノスタルジー、時の流れによる寂れ、にもかかわらず逞しく前進し続ける人々、そして出会いと別れ。会えなくなってもその人たちと過ごした記憶は消えずに胸の奥に残り続ける、そう示す余韻の残るラスト。読み終えて、いいものを読んだ、という充実感で満たされる。こんな優しい世界に俺も暮らしたいぜ。

 

読んで満足していたら、楽園編集部のXアカウントでpanpanya先生の年賀状が抽選で70名に当たるキャンペーンをやっていた。なので応募した。アカウントのフォローと当該ポストのリポスト。フォローはずっと前からしていた。リポストは、俺にとって5ヶ月ぶりのXでの投稿になった。ツイートからポストに変更されて初か? 鍵かけてたけど解除した。どうせ当たりゃしめえ、と期待せずにいたのだけれど、昨日DMが届いて当選したと。えー、こんなことあるんだ、と驚き。知ってはいたけど読む機会のなかった漫画を急に読みたくなって、俺としては滅多にしない紙の本で漫画を買って、特典欲しさに新しくアカウント作って、だめもとで応募した年賀状抽選に当選する…。なんか縁がある気がする。先月にはクレジットカードのキャンペーンでキャッシュバックにも当選したし、もしかしてツキが来てる? 今年の競馬は散々だからその帳尻合わせか? 

 

イムリーなことに今月発売のユリイカではpanpanya特集をやるという。インタビューがあるらしいし買うしかない。偶然なんだろうけど偶然に導かれて今の俺はすっかりpanpanyaづくし。過去作品も集めるかもしれない。紙で。

 

 

 

最後の一文がずるい 飛鳥部勝則『堕天使拷問刑』を読んだ

 

 

復刊の報を知り購入。『魔女考』『針女』の付録ありバージョン。

 

著者についての知識はなかったがXが本書の復刊に盛り上がっていたのでなんとなくで購入。届いた本は450頁を越える厚さ。中を開くと二段組。なかなかのボリュームに途中で脱落したらどうしよう…との不安が頭をよぎったが杞憂だった。面白くて夜中まで読み耽った。

 

孤立した山奥のムラ社会という日本的な要素と、オカルト、悪魔召喚、カニバリズム(?)、森、異様な建築、地下道などのゴシック要素をミックスしたユニークな世界が舞台。そこで起きる殺人事件の顛末。ホラーでありミステリでありジュブナイルでもある欲張りセットのような小説。ユーモアもある。いやー、堪能した。

 

よく知らないんだがハヤカワ・ミステリワールドというシリーズ? の一冊なのか、ミステリとあるから殺人事件の謎解きがメインとの先入観で読み始めたが、どうやら著者は事件より西洋オカルト的世界を描くことの方に熱心でホラー小説感がかなり強い。発生する殺人事件は不可解で真相を知りたくはなるものの、その解明より、おどろおどろしい描写の方に惹かれっぱなしだった。いっそミステリ要素削って純粋なホラー小説にしてもよかったんじゃないだろうか、とすら思った。実際、殺人事件の状況は超常的ではあるものの謎解きの段になると一気に尻すぼみになってしまい拍子抜け。トリックや犯人の動機、それでいいのか? と内心でツッコミ。物語を終わらせるために強引にまとめた印象が。でもたしかに犯人の台詞や行動に伏線は張られていた。これだけ壮大な与太話(褒めている)を破綻させなかったのに感嘆。著者、すごい膂力。終盤のデビルマンめいた群衆の暴走とその恐怖を描くあたりからの怒涛の展開はお祭りみたいに盛り上がる。敵味方入り乱れてのバトル(文字通りの)。ここで明かされる最後の謎が日本的な哀しき風習というのがまた。

 

今年は関東大震災100年ということで『福田村事件』や『羊の怒る時』を見たり読んだりしたからかもしれないが、暴徒化した群衆の迫真の描写に興味を惹かれた*1。「お化けより人間の方が怖い」はホラー好きのあいだでは白けるワードらしいが*2でもやっぱり人間って怖いよな。悪魔も怪物も人間が自分たちの姿から創造したんじゃないの。

 驚くべきは彼らの顔だった。人間とは思えないのだ。顔の造作は確かに、見知っているグレンや鳥新や憂羅のものだ。しかしどこか違う。微妙な目の吊り上がりや口の歪み、頬の窪みや眉間の皺、そういったわずかの違いが魔性を孕んでいる。人間と悪魔の違いは、ほんの一歩なのだろう。早くも三十人以上が集まっていたが、各々の個性が薄れ、同じ者が大勢いるように見える。理性を踏み越え、狂信的な感情に囚われて、非個性の単なる集団と化した人々は、自ずと怪物に近づくのかもしれない。

 

繰り返しになるがクライマックスの盛り上がりはすごい。やばい。そのあとの、これも繰り返しになるが殺人事件の真相は拍子抜けでトーンダウン。で、どうやって終わるのかな、と期待と不安がないまぜになったまま読んでいると、最後にちょっとした仕掛けがあって、俺はここでびっくりした。やられた、と思った。謎解きの要素は殺人事件よりむしろ本書の構造そのものにあったのではないか、とすら思った。作中、突然登場人物による長々しいホラー小説評論みたいなのが挿入される(「オススメモダンホラー」)。ストーリーに一切関与しないのに読ませる謎のテクストなのだが、これが最後の最後になって効果を上げるのがにくい。そして、とっ散らかった感もある中で迎えるラストに置かれた最後の一文が、ここまでの過程のすべてを肯定させる、納得させる、それほどの叙情を湛えていて、なんかもう、「ずるい」って気持ちになった。

 

俺は普段ミステリもホラーもほとんど読まないし、著者の名前は今回の復刊の報で初めて知ったクチだが、この小説はちょっとすごい小説なんじゃないだろうか。中年になって感受性が衰えたとばかり思っていたが、面白いものに遭遇すればのめり込むし、ただ単に好みにうるさくなったってだけなのかもしれない。

 

付録の『針女』は書き下ろしのスピンオフ的なやつでヒロイン二人のやりとりが笑える。『魔女考』はツナ缶紛失の謎を追ったら怖い真相(ただし匂わせ)にたどりつく話で短いながら面白かった。

 

本書に続けて復刊する同著者の『黒と愛』『鏡陥穽』も予約済み。今月末発送されるみたいなので年末年始休暇の楽しみとしたい。

 

 

*1:「普通の人々がちょっとしたことで集団リンチを繰り広げる」と本書にある

*2:知ったふうなこと言ってんじゃねえ、となるらしい

ナポレオン、黒毛和牛バーガー、露天風呂

本日、弊社カレンダーにより休日。

嬉しい平日休み。と言っても夜勤明けなので寝て終わり。

 

…のはずなのだが諸条件により動けた。

珍しい。こんなこともある。

それでも帰宅して外出するのは躊躇われた。眠気は急にくる。それに俺はもう若くない。体の無理はきかない。

しばし自宅待機して様子見。だが眠気はこない。

 

いけそうだな、と判断して映画館へ。ユナイテッド・シネマは会員なら金曜日は1100円で鑑賞できる。押井守が「サー」と敬称で呼ぶリドリー・スコットの新作『ナポレオン』を見に行った。今の時代にナポレオンかよ、との思いはあったが、名匠だけに一定の水準以上ではあるはず、との期待から。ホアキンがナポレオンを演じるというのも俺的にはプラスポイント。

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夜勤明けで上映時間2時間半オーバーの映画に行くのが俺の向こうみずなところ。仮に寝てしまったとしても夜勤明けで映画を見るとはいかなるものか体験できるなら1100円でペイできるのではないかな、と思った。

 

で、感想である。

特別面白味のない歴史物だったなあ、という感じ。今の時代にナポレオンかよ、と上で書いたけど、見ている最中も見終わってからもその気持ちは変わらず。海外でもわりと厳しめの評価のよう。

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まあそうだよな。近代西欧のアングロサクソン英雄の生涯なんて、昨今の社会の風潮にまったくマッチしていない。それがスコット監督の反骨精神なのかアナクロなのかは俺なんかには判断がつかないが。ただ英雄ではなく人間ナポレオンを等身大に描こうとの意図は伝わってきた。妻ジョゼフィーヌへの執着はみっともないしコキュの惨めさもある。『最後の決闘裁判』と同じように愚かな男としたたかな女を描こうとしたのもなんとなくわかる。しかしジョゼフィーヌが性悪すぎるせいで『最後の決闘裁判』のような成功はしていない。彼が指揮した戦争でどれだけの人が死んだか、も最後に示される。これが現代という時代の特徴か。

 

冒頭のマリー・アントワネットの処刑シーン、背景がモロにCG感出ててがっかり。ホアキンは20代の頃のナポレオンから演じているがいくらなんでも老けすぎ。CG技術使うならこっちでは。戴冠式のシーンは有名な絵そっくりのビジュアルがスクリーンで見られて楽しかった。あのあたりからだんだんホアキンがナポレオンに見えてきた。百日天下のときの軍服の上からベージュのコートを着た姿は様になっていた。戦闘シーンはクライマックスのワーテルローの戦いが迫力に富み見応えあったが、アウステルリッツの戦い、ボロジノの戦いは、ゲームオブスローンズの「落とし子たちの戦い」の方が金がかかってそうに見えた。ロシア遠征失敗が没落のきっかけになる。ロシアの冬を舐めて攻め込み手痛い失敗をするのは第二次世界大戦時のヒトラーも同じ。冬将軍やばすぎる。

 

同じヨーロッパの英雄譚であるロバート・エガース監督の『ノースマン』が背景に壮大な神話のスケールを持って屹立しているのと比較すると近代が舞台の『ナポレオン』はあまりに卑小。野性味がないんだな。でも何度か寝そうになりながら2時間半最後まで寝ずに見られたのだから悪い映画ではないと思う。同じ歴史物なら先だって見た『首』の方がずっと面白かった。あれは歴史物の皮をかぶった実質ヤクザ映画かもだけど。

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映画館を出たらちょうど昼時だったのでモスバーガーへ。

期間限定の黒毛和牛バーガーと、ポテト、ドリンクのセットを注文。ラーメンにしようか迷ったが今週は夜勤中の夜食にカップ麺をよく食べたので塩分の取りすぎが怖くてやめた。フライドポテトの塩分もなかなかのものだろうが…。

セットで1360円。セレブになった感あり。

パテがかなり肉肉しい。チェーン店でこれは大したものだと思う。ソースが旨い。俺は口が小さいのでソースが口の周りに付きまくる。ハンバーガーチェーンではフレッシュネスが一番旨いと思うけどモスもなかなか。ワンピースとのコラボ開催してた。

 

食べてたら少し眠気が。

夜勤明けで風呂に入っていなかったのでさっぱり綺麗になりたくスパ銭へ向かう。平日の昼時は空いていていい。俺に3億の資産があったら今すぐにでも会社をやめて不労所得で食いつつ平日はスパ銭や図書館や漫画喫茶や山へ行って遊びまくりたいものだが、そんなことは起こり得ないし、会社での仕事や人間関係は脳への刺激になっているからやめるべきではないし(独身中年の俺が今無職になったら社会との接点がほとんどなくなって狂人か変人になりそうだ)、だからこの話はこれでおしまい。

 

露天の解放感が好きなのでスパ銭へ行くと露天風呂にしか入らない。土日だとまず空いていない壺湯ががら空きだったので満喫した。平日昼のスパ銭。風呂の水面が午後の日差しで反射して壁や屋根に波紋を映し出す。なんて贅沢な時間だろうか。ブルーカラーの汚ねえもの一切を洗い場で洗い流す。髭を丁寧に剃る。

夜勤明けでサウナはさすがにやめておいた。眠くなったら共用スペースで寝てしまえばいいのだろうが。

 

店を出て車に戻ると外気温19度の温度表示。風呂上がりの身に車内は暑くて半袖Tシャツ一枚でもいいくらい。その上からフリースだったので運転してるだけで汗が出てきた。アップルカープレイでYOASOBIを聴きながら帰路につく。途中スーパーに寄って買い出しと、ロッカーでAmazonの注文品を受け取る。

 

帰宅するとまだ15時過ぎで、夜勤明けでこんなに動き回って平日休みを満喫できたなーと嬉しくなる。まだ土日が控えている。父親が知人に頂いたバームクーヘンを少し切り分け、スーパーで買ってきた烏龍茶とともに味わう。旨し。タダの食いものは旨い。晩酌禁止*1は未だ継続中だが、ちょっと飲みたくなったのでノンアルのヴェリタスというやつを買ってみた。やめてもうすぐで1ヶ月か。我ながらようやっとる。

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映画、モス、スパ銭のハシゴで1日を有意義に楽しく過ごせた。

独身中年の休日はこういうのでいいんだよ。

 

 

*1:会社の人と飲み会があったのでその時はレモンサワーを3杯飲んだ

「この世のものは何であれいつか終わる」──ミシェル・ウエルベック『滅ぼす』を読んだ

 

 

 

ブクログによると読み終えたのは8月末。なので読んでから4ヶ月以上が経っている。

もうすでに細部はおろか全体についてさえ記憶は薄れているが、今年読んだ本のうちでもとくに面白かったので今更ながら記録として残しておく。

 

ウエルベックは『素粒子』を文庫が出てすぐに買って読んで以来好きな作家で、邦訳された小説は『服従』以外はすべて読んでいる。もっともセンセーショナルな話題を呼んだ『服従』だけ読んでいないのも妙な気がするが縁がないまま今日まで来た。『素粒子』と『地図と領土』がとりわけ面白かった。

 

『滅ぼす』は邦訳刊行されているのを知らなかった。大宮のジュンク堂へ行ったら海外小説の棚に並んでいた。見て驚いた。新刊が出ていたことも、それが過去作にない上下巻のボリュームだったことにも。

 

とりあえず上巻だけ購入。帯に「読み出したら止まらない」とあったがこういう宣伝文句は信用していない。が、読み始めたらたしかにすらすら読めてしまうのだった。ウエルベックってこんなだったっけ? と思うようなエンタメに振ったリアリズム的な作風。叙述もシンプル。政治小説(というジャンルがあるのかは知らない)として、また家族小説として、等身大の、と言いたいようなドラマが展開する。すぐに読み終え下巻も購入。

 

冒頭はかなり物々しい。大統領選を控えたフランスで謎のテロ組織との戦いが予告される。主人公は大臣秘書官のポールという中年男性で、関係が冷え切った妻と二人暮らし。来たるべき選挙、テロ組織との戦い、病いに倒れたポールの父の介護、久々に顔を合わせる家族たち。そうした上巻のストーリーは下巻の中盤、ポール自身の病いが明らかになると徐々に後景に退いていく。あんなにエネルギーを注いだ大統領選は尻すぼみに終わり、いよいよ佳境を迎えたテロ組織との戦いは依然継続するものの、もはや病身のポールにそれに加わる体力気力はない。社会や家族の間で起きたことごとくが、死にいたる病いに冒された人間にとっては埒外の問題となる。自分の体の痛みを緩和することに関心の大部分が向けられる。望みは痛みを忘れて眠ること、それだけ。

 

なんというリアリズムだろう、と感心した。人生の大半の時間を費やして情熱を注いだ仕事もひどい痛みの前では色褪せる。かつては政治という社会の中枢で活躍した人物であっても、死が迫れば関心事は自分の体とそれを労ってくれる家族だけになる。

ストーリー投げっぱなしじゃねえか、と言いたくなる一方で、人生なんてこんなもんだよな、と妙に納得させられてしまう。

 

ウエルベック作品と聞いて頭に浮かぶ怒りや毒はこの小説にはほとんどない(激烈なのは大晦日の夜の家族談義のシーンくらいか)。全編に諦念と悲哀が漂っている。また、毎回必ずと言っていいほどある露悪的な性描写もない。ちょっときわどいシーンがあるにはあるがユーモラスに処理される。こういう書き方は過去作にはなかったんじゃないだろうか。読み終えて、今更かもしれないが、もうウエルベックは大作家なんだなあ、という感じを受けた。

 

新しい歯科医を探さなければならない。前の歯科医から引退すると告げられた日のことを、ポールはいまだに覚えていた。(略)老医から仕事を辞めると告げられたとき、極度の悲しみに襲われた。この先、二度と会うことなく二人とも死んでしまうと考えて、泣き崩れそうになった。二人は特に親しかったわけではなく、医師と患者の関係を超えたことも一度としてなかったにもかかわらず。会話らしい会話をした覚えも、歯と関係のない話をした覚えもなかった。自分が耐えられなかったのは、無常そのものであると、彼は不安な気持ちで気づいた。無常とは、この世のものは何であれ、いつか終わるという考えである。彼が耐えられなかったもの、それは生きることの本質的条件のひとつにほかならなかった。

 

「連帯や家族といったことについては、たくさんの綺麗事が言われていますけど、でも、年寄りはたいてい一人で死ぬんです。離婚しているか、一度も結婚したことがないか、子供がいないか、いても連絡を取っていないかです。一人で歳を取るのも楽なことじゃありません。でも、一人で死ぬのは最悪ですよ。(略)わたしはたくさんの金持ちが死ぬのを見てきましたが、本当にね、こうしたときに、金持ちであるのはたいしたことじゃない。個人的には、モルヒネの点滴ポンプを使用させることには何の躊躇もありません。望むときに、ボタンを押しさえすれば、モルヒネを一定量注入できて、優しい光の輪に包まれ、世界と和解することができます。好きなときに打つことのできる人工的な愛のドラッグのようなものですよ」

 

 

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