気が滅入ったから歩いた

 

どうにも滅入って仕方なかった。

原因はわかってる。

先週金曜にあった、上司との評価面談が面白くなかったからだ。

 

自己評価なんて概ねそんなもんなんだろうが、俺は俺なりにようやった感がある一年だった。それなりに評価されて然るべきと思っていた。が、どうにも相手はそうは思っていないどころか…まあそれ以上はここでは言うまい。とにかく、それは違うだろう、根拠は? と逆にこちらが聞き返したいくらいの話になって。音楽性の違いが浮き彫りに。好意的にとればまだまだやれるものと見てくれているとも取れるが、逆の意味に受け取ろうとすればそれも可能なわけで。ニンジンぶら下げて搾取しようって腹じゃねえの? との疑念が。組織ってのは恐ろしいものだから。

 

ここでの面談結果が来年の給与につながるので落胆が大きい。何と綺麗事言おうと組織による評価とは言葉じゃなくて金だろう。一年、異動もあったなかで俺はやることやったと思うがなあ…。

 

まあ俺には俺の言い分があるように相手には相手の言い分があるのだろう。それに上司だって人間、好き嫌いはあろう。俺はもともと人から好かれるタイプの人間じゃないってのも理解してる。

でも、それにしたってさあ…。

 

俺は、労働はクソだ、とは言わない。

労働は人生のいい暇つぶしになる。創意工夫を発揮する機会にもなる。それなくしては人生は長過ぎて退屈だろう。

だが、労働につきものの人間関係、これはクソだ。明らかにそうだ。

人間関係、とりわけ人間による人間の評価、これがクソすぎる。

AがBを評価する。Aに公平性はあるか? 人間のすることだからないだろう。

不公平と思ってしまえば納得はできない。金の絡む話でもあるのだから事は重大だ。

金曜日は家に帰ってから何度も、クソ、とか畜生、とか気づくと呟いていたのだった。

 

そんなんで週末は悶々としていた。

人に会って、ケンタッキーでチキンを食って(1週間早いな)、宮崎駿のドキュメンタリーを見て、少しは気が紛れた感なきにしもあらずだが、それでも愉快にはならなかった。日曜昼、俺としては久々に、猛烈に、明日仕事行きたくねえ感情に襲われた。

 

そのとき外出先(本屋)から電車に乗って最寄駅まで帰ってきたところで、とてもじゃないがこのまま真っ直ぐ家に帰る気になれず、駅を出ると、強風の吹くなか、発作的に家とは正反対の方向に向かって歩き出した。本が入った紙袋を手に提げたまま。

 

歩きたかった。

 

聞いたところによると20分程度の有酸素運動には軽めの抗うつ剤と同程度の効果があるという。それを思い出し、駅を出て少し行ったところにある川まで向かった。住宅街を歩く気にはなれなかったが川べりなら歩いていて楽しそうなイメージが頭に浮かんだ。自然はいい。人格がないから。ちょうど都合よくノースフェイスのゴアテックス上着アルパインパンツを身につけていた。靴がメキシコ66だったので底が薄くウォーキングするのに不安だったが。

 

風こそ強かったが陽が出ていたので歩いているとだんだん暑くなってきた。12月の昼下り、猛烈さのない日光を浴びながらセロトニンが分泌されるのを願った。川べりの歩道を子供たちが、犬の散歩をする人が、ジョガーが、時折通り過ぎる。しかしその数は少ない。俺は本屋のロゴが入った紙袋を右手に提げて、ひたすら早足に歩いた。だんだん着ているTシャツが汗ばんでくるのがわかった。20分くらい過ぎたあたりで飽きてきた。だがまだ自宅へは距離があった。

 

宝くじで億当たらねえかなあ、とか、優しい世界で暮らしてえなあ、とか、そんなことが頭に浮かんできた。煩わしい人間関係、わけても人からされる評価、こいつから自由になりてえなあとか。そんな思考も20分くらい歩いていたら疲れてきてどうでもよくなってきた。有酸素運動の効用か。30分くらい歩くと普段通らない道が徐々に見知った道に変わっていった。Tシャツ脱ぎてえ、水飲みてえ、横になりてえ、と考えることが現在の状況に関する物事へシフトしていったのはいい傾向だっただろう。家に着いても有酸素運動による爽快感みたいのは覚えなかったが、月曜日会社へ行きたくねえ気持ちは多少弱まった気がした。

 

晩酌をやめて40日くらい経過した。以前だったら酒飲んで気を紛らしたんだろうが今はそれもできない。酒飲んだって何の解決にもならない。明日の朝起きるのがつらくなるだけ。だから飲まない。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

日曜の夜は寝て起きたら月曜の朝で仕事だから、それ嫌さについ夜ふかししてしまう。明日のことを思えば早く寝たほうがいいとわかっているのだが。今夜はどうなるだろうか。

 

今から日曜の朝に時間が巻き戻らんかな、とか詮ないことを考えている。