独身中年、北へ

一泊二日で仙台へ行き、北上して震災遺構を幾つか見学してきた。

 

仙台へ行くのは2006年以来なので約20年ぶり。初めての一人旅だった。そのときは白石蔵王で御釜を見たのち仙台へ向かった。気仙沼大島へも行った。

 

以下の記事に大宮駅から仙台駅まで東北新幹線で1時間と書いたが、あれは嘘だ。正しくは70分かかる。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

今回の旅程に関しては以下二つのブログ記事を参考にした。有意義な内容でおおいに助けられた。感謝。

hagyou.hateblo.jp

 

htnmiki.hatenablog.com

 

 

俺は東日本大震災にこだわりがある。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

この記事に書いたが、当時、連日震災報道を見続け、計画停電をはじめとする非日常を経験するにつれ頭が変になった。いつ何が起きるかわからない世界で不平不満を溜め込みながら生きてることに意味があるのかと自問し、2011年6月、発作的に会社を辞めた。その後しばらくそのせいで苦労する羽目になったが(自業自得)、妙なことにやがて人生が好転した。

今振り返ると東日本大震災は俺にとって人生の転機だった*1。だから何だって話だが、そして14年も経った今更かよって話でもあるが、かつての被災地へ行きたい気持ちは何年も前からあったように思う。行けば何か気持ちに整理がつくとでも思ったのか。わからない。気持ちをうまく言語化できない。

阪神・淡路大震災のあと、食事も睡眠もとらずに連日テレビ報道を見続けた妻が、理由を一切告げずにある日突然失踪するという村上春樹の短編がある。それを読んだとき、彼女がなぜその行動をとったのかわかる気がした。俺がやったのもそれに近い。

 

前置きは以上。

本記事の後半は震災遺構の写真が出てくる。ご承知おきください。

 

 

金曜日午前、大宮駅からはやぶさに乗車。席はだいぶ埋まっているようだった。

お昼少し前、仙台駅に到着。寝ていたのですぐ着いた感あり。

 

降車し、トイレへ行く途中でずんだ茶寮の前を通った。トイレは後回しにして先に一杯注文してイートインで飲んだ。舌が粗末で鼻も悪いので枝豆の風味がよくわからず、単なる甘くて旨い飲み物としか認識できなかった。

 

トイレへ行く通路は牛タン店が軒を連ねる牛タン通り。どの店もかなりの行列でびっくりした。牛タン人気すげえ。

用を済ませて外に出る。まずは飯だ。

 

向かったのははひふへほさんでおすすめされていた味太助の分店いまい。最初店の場所がわからずうろうろした。吉野家のそばのビルの五階。エレベーターが苦手なので階段を利用。店に入ると予想に反して空いていて拍子抜け。牛タン通りの行列が嘘のよう。奮発してプレミアム牛タン定食(ご飯少なめ)を注文。少ししか取れない希少部位を使用しているという。非常に美味。牛タンの概念が変わる。ステーキだこれは。

 

会計時、「美味しかったです」と伝えて退店。

 

アエルとエスパルをうろつく。エスパルで喜久福を二つ購入。ホテルにチェックインして部屋で食う。確かに旨いがべらぼうに旨いかと言うと? 仙台の人に貶されるかもしれないが俺は萩の月の方が好き。

 

少し寝て起きたら夕方になっていたので夕飯を食いに出かける。

 

駅前で山本太郎が演説していた。『バトル・ロワイアル』の川田は好きだが政治は俺にはよくわからん。素通りしてエスパルの地下へ。

 

うどん酒場七右衛門でかしわ天とおろしのぶっかけ。ついでにレモンサワーも。疲れていたのか、酒を飲んだら急に具合が変になる。金沢での経験を活かせていない。今後、一人旅ではアルコール禁止。ついでに胃薬も持参しろ。

 

ホテルへ戻って早めに就寝。

 

二日目。ホテルの朝食が無料だったが、おっさんだから量が食えないと自覚したのであえて抜いた。その代わり昼を早めにする。そうすれば一食ちゃんと食えるだろうし、店も空いているだろうしで一石二鳥だ。

 

レンタカーで仙台から北上。目的地をナビに入力するとルート案内はしてくれるのに無言で戸惑う。車の運転自体は慣れているが知らない車で知らない道を走るのは緊張する。三陸沿岸道路に入ってようやく緊張が解けた。高速道路ならどこも似たようなもんだから。途中のPAでナビをいじったら音声案内がオフになっていた。オンにして問題解決。

 

70分ほどで大川小学校に到着。

以下、震災遺構の写真となります。たまに色味が違うのはミラーレスとiPhoneで撮ったのがごっちゃのため。白っぽいのは俺が写真下手くそだから設定がおかしい。

 

道の駅おながわへ。山の中、途中途中で海が顔を覗かせる素晴らしいルート。車も少なくて快適。延々と走っていたくなった。

 

道の駅おながわ。駐車場が結構埋まっていた。ネットに影響される人の日記さんに影響されて、おかせいで食事。女川丼を注文。11時頃だったにも関わらず店内はすでに満席だったのでテラス席でいただく。この日は真夏のような陽射しと暑さだった。

 

食後、すぐそばにある旧女川交番を見学し、しばし海を眺める。


陽射しにやられかけたが日陰のベンチに座っていろはすで水分補給しながら休憩していたら落ち着いてきたので出発する。

門脇小学校へ。

 

仮設住宅の展示。一部、実際に使われた壁を移設している。

 

アンケートに協力した。

 

荒浜小学校へ。

 

二階天井。


荒浜小学校の見学を終えた時点で16時近かった。レンタカーの返却時間が17時、時間的に道も混むだろうから余裕を見て戻ることに。予定ではあと何箇所か震災関連の施設へ行くつもりだったが時間が足りなかった。8時から16時までの8時間で180キロほど走った。

 

レンタカーを返却して仙台駅へ戻る。腹が減っていたので少し早めの夕飯にする。たんや善治郎駅前本店へ。行列ができていたので迷ったが、新幹線の発車まで時間が十分あったので我慢して並ぶことに。15分ほど待った。

 

牛タン極太定食4本、ご飯少なめ。おっさんだから腹八分目、食べ終えたとき「ちょっと足りなかったかも…」と思うくらいでちょうどいい、とようやく悟った。今更すぎる。

 

食後、向かいのケンタッキーでアイスコーヒー飲んで一服。

 

仙台駅でお土産として、一口ずんだ餅、萩の月、支倉焼、ICSCAを購入。

 

帰るとなると名残惜しくなり、ずんだシェイクをまた注文してしまった。やはり枝豆の風味はわからん。けれど甘くて旨い。

 

二日間なんてすぐ過ぎてしまう。新幹線の行き着く先は帰るべき家、帰るべき日常。労働に勤しみ、また東北旅行できるだけの金を貯めよう。年内にもう一度来たい。

 

 

*1:正確には震災というより前職を辞めて今の会社に入社したことだが、そのきっかけは震災だった