ネタバレあり。怖いもの見たさ的な好奇心から見てきた。原作独特のナルシシズム、アニメだから許容できる立ち居振る舞い、そうしたものをどう実写で描くのか興味があった。あれはアニメだからいいんだよ、訴えてくるんだよ、耐えられるんだよ。見るまではそうした思いが強かった。
実際に見たら予想していたよりずっといい映画だった。いい意味で予想を裏切られた心地よい驚きと、いい映画を見た満足感を覚えた。監督の、原作に対する理解度が高いんだろう。原作のマインドを踏襲し世界観を再現しながら独自の要素もプラスされている。その、実写オリジナルの追加部分がまたいい。少年少女の二人が交わした、岩舟の桜の木の下での再会の約束。
原作は「連作短編アニメーション」と謳っており「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の3話に分かれている。実写版にはそうした区切りはなく、第3話の時間軸(2009年)をベースとし、回想として1話、2話が描かれる。この処理の仕方がシームレスでスムーズ。構成も少し変更されており、1話のラスト、朝の岩舟駅での別れのシーンが終盤にくる。これがとても効果的。構成に関しては原作より実写版の方がいいと思った。
60分ほどの原作を倍の120分にどうやって延ばすのか、興味があった。延びた分は原作では描かれなかった、大人になった貴樹と明里の日常。原作で山崎まさよしが流れるMV的な箇所を丁寧に描いている。結婚するまで明里が何の仕事をして東京でどう暮らしていたのか、原作だとまったくわからなかったので気になっていた。新宿の紀伊国屋書店で働いていたら貴樹とばったり顔を合わせていそうだが。最後に会ってから15年くらい経ってるから知らずに顔を見てもお互いもうわからないか。
飲み会といい、プラネタリウムといい、出会いそうですれ違うもどかしさが楽しかった。花苗の姉が重要人物に。既存のキャラクターをうまく使って物語を膨らませるのに成功している。唐突に明里の恋人が出てきたのには笑ってしまった。ほんとに急にしれっと登場するんですよね。それも、よりによってこの日にかよ、というタイミングで。笑うしかない。
原作の予告篇でタイトルが出る電車のシーン、種子島の電線越しに見上げる月、ラストの遮断機が上がる角度など、ほかにもたくさん原作と同じカットが出てきて、ああ、現実で見るとこんな感じなのか、と思った。ファンへのサービスでもあったのかな。ロケット打ち上げのシーン、CGが違和感なくてとてもよかった。でも、今思うとあんな夕方にロケット打ち上げないよな。午前中にやるもんじゃないのか。
ほか、思ったことを箇条書きで。
・『秒速』は天門の音楽あってこそでしょ、と思っていたので*11曲だけだけど最後の方で流れたのは嬉しかった。
・『雲のむこう、約束の場所』主演の吉岡秀隆の出演はちょっとグッときた。
・種子島編のカラオケのシーンは必要だったのか。権利関係で山崎まさよしはカラオケでしか流せないのかな…と思ったら最後の方でちゃんと流れるし(露骨な舌打ちをするおっさんリーマンに笑った)このシーンは謎。
・大人になった花苗も見たかった。
・森七菜演じる花苗は恋する女子高生の感じが出ていてとてもよかった。少女時代の明里を演じた子役もよかった。「来年も一緒に桜、見れるといいね」と言って傘を開くシーン、アニメじゃなきゃ無理な表現だろ…と思ってたけど現実にやって白けさせない「存在の強さ」があった。
・貴樹と過ごした日々は思い出じゃなくて日常=現在の自分のベースだ、という明里のセリフは前向きでとてもよかった。
・原作だと中学生にしては老成しすぎな感があった。実写の方が年齢相応な感じ。だから桜の木の下ではハグだけでもよかったのでは。
・明里が明るい性格ってイメージはあまりない。どっちかと言うとおとなしい方でしょ。でもそのことの伏線回収みたいのもあって唸ってしまった。「あの人(貴樹)は私の太陽だった」みたいなセリフ。序盤に月は太陽の光で輝くってセリフがあったり、夏目漱石の「月が綺麗ですね」が花苗の流すラジオから聞こえてきたり。
・明里が『吾輩は猫である』を読んでいたのは何だったのか。普通に村上春樹でよかったんじゃないの。原作だとカポーティ、村上春樹、漱石を読んでいる。なぜ結婚前に帰省したあと東京に帰る電車内で『こころ』なんて陰鬱な話を読む気になったんだろう。
実写版、総じて満足。たぶんいい映画だと思う。原作との異同を楽しむ視点からしかもはや俺は見られないので原作を知らない人が見たらどう感じるかはわからないけれど、それでもつまらない映画ではない、と思う。全体的に静かで地味ではあるけれど。
俺はかつて、もう15年前になるが、『秒速』を見てこれは俺のための映画だと思い込み、種子島へ「巡礼」に行ったくらいの原作ファンだった。当時はインターネット上に情報が少なくて苦労したが、新海監督が泊まったホテルを調べ同じ部屋に宿泊までした。


度胸がなくて構内には入れなかったが岩舟駅へも一度行っている。

今はもうその頃ほど『秒速』に思い入れはない、ということは去年書いた。
hayasinonakanozou.hatenablog.com
あの当時は初恋の幻影に囚われている貴樹が他人に思えなかった。俺にも明里のような女性がいたからだ。その女性のことは今はもう顔もうまく思い出せない。歳をくって記憶が曖昧になっていくと過去への未練や執着は弱まる。かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いは加齢とともに失われてしまった。実写版を見ていて、俺が松村北斗みたいな美男じゃないから「弁えさせられた」部分もあるけれど、去年リバイバルで見た原作と同様、これはもう俺の話じゃないなあって気持ちになった。
でも当時の痛みの記憶は今もある。今となっては、あんなに思い詰めちゃって…と若い頃の自分を憐れみ、笑い、黒歴史として処理したくもなるが、一方で、それほどまで他人に思いを寄せることができたことを、幸福だったとか運命の恵みだったとか思いたい気持ちもある。一度きりの人生の経験として、できてよかったんじゃないの。
45歳を過ぎたらもう、恋愛!って気持ちはない。ないよ。独身中年だし。かつてはいたんですよ、俺にも。明里みたいな人、シルヴィみたいな人が。でももういない。消えた。その人への気持ちもいつの間にか。加齢によって未練も執着もなくなり、俺の中にいた貴樹(好きだった女性の幻影に囚われた男)は知らぬ間に成仏していた。そのことを去年の原作と今年の実写版を見ることで確信できた。あの人の面影よ、さらば。合掌。
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*1:なんだか秒速原理主義者みたいな発言だがそもそも秒速原理主義者って何だ?
