映画『キュアード』感想

緊急事態宣言が解除されて最初の映画館はイオンシネマ板橋。ゾンビになった感染者が治療薬により回復するも周囲からは差別的な扱いを受けて…という内容紹介を見、まさにパンデミック後(後、なのか? よく分からない)の今の社会状況にマッチしている、と見るのを楽しみにしていた。映画館へ行くのは、3月下旬にシネマカリテで『21世紀の資本』を鑑賞して以来約二ヶ月半ぶり。

本日有給のため平日15:00過ぎの電車に乗る。電車に乗るのも映画館へ行くのと同じく二ヶ月半ぶり。時間的に乗客は少なく、座席に座れてなお空席があった。窓が半開きになっていて換気されていた。でも、二ヶ月半くらいでは何の感慨もなかった。もともと普段は車通勤で、電車に乗るのは週末のみの生活だったし。と言いつつ、途中乗り継ぎを間違えるという失態をおかしたのだが。

映画館のロビーへの入り口は一箇所に制限され、入る前にスタッフに検温される。マスク着用及びアルコールによる手指の消毒は義務のよう。詳しいことはイオンシネマのサイトに書いてある。ネット予約していたチケットを発券し、座る場所もなくがらんとしたロビーで所在なく立って開場までの十分程度を待つ。自分を入れて、ロビーにいた客は五人くらい。平日とはいえ寂しく、これがウィズ・コロナ時代の映画館かと思ったり。「キュアード」の観客は自分を含めて三人だった。

で、映画の感想になるが、残念ながら退屈だった。ゾンビウィルス(メイズウィルス)によって崩壊したアイルランドが舞台。パンデミック後治療薬が開発され、感染者の75パーセントが回復し、残りは現在も隔離されている。治療によって回復した元感染者は社会復帰をしている。ただし回復してもゾンビだった時の記憶が残っているため、回復者の大半はトラウマに苦しめられている。ゾンビだった時には人々を襲っていた連中だから、こんな奴らは全員隔離しろ、殺せ、という報復や差別の声が世間にはあり、過激派によって襲撃される回復者も続出して、ウィルスによる社会の分断が起きている。主人公は回復者の青年。彼は、ウィルス治療を行うセンターの見習いとして社会復帰する。回復者ゆえに受ける嫌がらせ。ゾンビだった時の苦しい記憶。もはやパンデミック前には戻れない自分、家族、社会。やがて、虐げられてきた回復者たちは団結してテロを決行する。町は再び混乱に見舞われる。というようなストーリー。

心理ドラマっぽい映画かと思っていたら、そうでもない。音でびっくりさせる安直なホラー的演出(大嫌い)や、軍対ゾンビの銃撃戦もある。ただなあ…コストの都合だろうが全体的にしょぼくて残念。突っ込みたくなる箇所多々あり、そういうのが続くと見ていて冷めてきてしまうのだよなあ。ゾンビを治療する重要なセンターの設備が野戦病院並の貧弱さだったり、このセンターの警備がザルだったり、軍曹がわざわざ単独で家庭訪問したり、単独でテロリストのボスを拘束しようとしたり、主人公の姉(ヒロイン)が白昼堂々ビデオカメラ持ってテロリストの集会所に潜入したり、ゾンビが襲ってくるのに家に篭城せず斧持って飛び出してきたり。テロリストのリーダーが、主人公や彼の家族に執着する理由もストーリー上そうする必要があるから、以外の説得力がないし、色々と粗が目立った。分断された社会で虐げられた者たちが反乱する、というのは、今の時代状況と照合してアクチュアルな内容だとは思う。ゾンビウィルスを新型コロナウィルス感染症に置き換えて見れば、誰かから感染して死亡した人の遺族が感染源である誰かを恨んだり、治癒したとはいえ元感染者を差別するようなことはおおいにありえる。と思うのだけれど…納得させる力に乏しく。色々と残念な映画だった。