n数1の中年論

はてブを見ていたらこんなエントリが上がっていた。

anond.hatelabo.jp

 

俺のつけたブコメはこれ。

40代になるとできなくなること

長時間寝ること。爆睡して目が覚めても腰が痛くて曲げられないから起き上がれない。

2025/08/15 14:50

ほかにもたくさんあり過ぎて書ききれないので一つにしておいた。

 

コメントを見ると同意できるものが多い。

傷の治りが遅い、徹夜できない、老眼、肉の脂身が重い、長時間睡眠できない、など。どれもあてはまる。徹夜は若い頃からできなかったが。

 

去年、実感している中年の症状を書いていたので引用する。

中年は常にかったるい。

かすみ目。老眼。

集中力が続かず何事もじき飽きる。

眠りが浅くて夜中に何度も目が覚めるから起きても体からだるさが消えない。

ちょっと階段を登ると動悸がすごい。

歯がすり減って噛み合わせが悪くなり食事中に舌を噛むことが増える(めちゃくちゃ痛い)。

毛髪が細くなり量が薄くなる。寂しい。

加齢臭。

寝起きの口の臭さ。

腹や腰回りにつく頑固な贅肉。

これまでしてきた髪型やファッションが加齢により似合わなくなってくる。

鏡に映る老けた顔。

嚥下の動作をすると喉が皺だらけになる。

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、感覚の衰え。世界と自分との間に薄いベールを引かれた感じ。

感動する能力の欠如。何に触れても鈍い。もうバッハを聴いても精神が高揚しない。ラーメンが前ほど美味しく感じない。

一方で沸点は低くなる。ちょっとしたことでカッとなりがち(表情に出さず堪えるが)。

若い女性から異性と認識されない寂しさ。まあこれは気楽でいいことかもしれんが。

ぱっと思いつくだけでも俺に現れた中年の症状はこれだけある。

 

生きてても何も楽しいことないですね。

中年以降の生き方を考えるための5冊 - 生存記録

よくまあこれだけ書いたな。喉を意識したのは我ながらナイスだと思う。ふだんあまり意識しないけど首って年齢が如実に表れるように思うので。

 

上記に付け加えると、ここ1年でさらに老眼の度は増した。目がしょぼしょぼして日が暮れるともう何も見えない。

長時間運転するのが厳しいのは間違いない。今年、銚子や福島へ車で行ったけど道中辛かった。目の疲れもあるけど高速道路運転中に車線変更の判断をするのが面倒くさくて。運転するのに全集中しちゃって判断に回すだけの脳のリソースが残ってないのだろう。これは若い頃にはなかった感覚だ。

食が細くなった。刺身! ステーキ! ってドンと出されるより少量ずつ色々なおかずが並んでいる方が嬉しい。

下の奥歯がすり減ってる気がする。うまく噛み合わない。

性的な方面も不調ですね。精神的成仏も間もなくだ。俺くらいの歳で女遊びしてる人、逆に尊敬する。でもあれは純粋な性欲というより支配欲なんじゃないかという気もする。

夏はそうでもないけど冬は頻尿がやばい。寝ていて1時間おきに目が覚めてトイレへ行くこともある。部屋が2階でトイレが1階だから寒い中階段の昇り降りを何度もするのが地味にしんどい。にも関わらず映画館で映画見てる間は全然尿意が起きないから不思議だ。

…大体こんなところか。髪の毛はまだある。体型も変わっていない。

 

こんなエントリもあった。

gigazine.net

 

44歳頃で一気に老化が進む説、自身の体験と照らして納得できる。というのも今から5年前、43歳のとき四十肩になって、最初は左肩だけだったのに左肩がよくなりかけたら右肩もなっちゃって、整形外科に1年8ヶ月も通う羽目になるという出来事があったからだ。ちょうどこの頃から老眼も一気に進んだ。43歳までは30代の延長みたいな気持ちでいた。そして30代は20代の延長みたいな気持ちでいた。甘かった。俺にとっては43歳が老化の分岐点だった。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

親も同じなので遺伝だと思うんだけど、俺は20代後半くらいからあまり顔も体型も変わらず髪もフサフサだったから周囲から若く見えると言われ続けてきた(長年ニートやってたから苦労知らずが顔に出てるのかも?)。何ひとつアンチエイジングをせずとも*1若く見える自分に胡座をかいていたしそれが今後も続くものと思っていた。だから43歳のとき四十肩になってショックだった。自分は特別と自惚れていたが違った。知らないうちに俺もちゃんとおじさんになっていたのだ。「……知らなかったのか…? 老化からは逃げられない…!」

 

今年の冬に48歳になる。上記のとおり体は衰えたけどメンタルには落ち着きが出てきた。何事にもあまり動じなくなった。また、いい意味で自分にも他人にも期待しなくなった。自意識が弱まって他人からどう見られるか、思われるかを過剰に考えなくなった。傍若無人に振る舞うってんじゃない。その逆。謙りつつ、他者に対してオープンマインド。飲食店で「定食セットっておかずのほかに何が付くんですか」とか、「美味しかったです、また来ます」とかをお店の人に自然に言えるようになった。中年男性だから見ず知らずの人(とくに若い女性)には圧があるだろうから遠慮するようにはしてるけど、「陽気な図々しさ」みたいなのがここ1,2年くらいで備わってきたように思う。以前が引っ込み過ぎてたので今くらいでちょうどいい気がする。同行している女の人もとくに注意してこないので異常行動はしていない…と思いたい*2。若い頃は近所の定食屋へ通って、そのうち顔覚えられてコーヒーでもサービスされようものなら行きづらくなって行かなくなったものだけど、今なら喜んで通うね。通ってコーヒータダ飲みしまくるね。出てこなかったら催促しちゃうかも。「あれ、今日はコーヒーおまけしてくれないんですか?」出禁になりそう。

 

アラフィフの今の方が20代30代の頃より幸福を感じる。若い頃は自分への期待もあったし、社会の圧に屈しがちだったし、性欲や見栄に振り回されがちだった。ずいぶんしんどかったんじゃないかな、当時は自覚していなかったけど。今はそういうことはない。自分なりの価値観がある。他人は気にならない。俺には俺の物の見方があるんだと胸を張って言える。ここまで来るのにずいぶん時間がかかった。

 

今、宇野常寛『ラーメンと瞑想』を読んでいる。

この本の最後の方に、「三島由紀夫は四十五歳で死んだが我々は生きなければならない」という言葉が出てくる。三島がもし生きていたら今年100歳。100歳はちょっと厳しいかもしれないけど、あれほどの知性の人だから、もっと長生きしてもらってバブル景気とその崩壊や地下鉄サリン事件やコロナ禍について何て語るのか聞いてみたかった。三島はなぜあんな最期を選んだのか。俺は三島のいい読者ではないから適当に言うけど*3老醜が耐えられなかったんじゃないだろうか。45歳って年齢は、人が美しく死ねるギリギリの年齢だと思ったんじゃないだろうか。芸術と人生を一致させたい欲望もあったのかな。

 

この本の宇野さんたちと同じように、45歳をすでに過ぎた俺もまだまだ生きなければならない。老醜を晒そうとも、芸術的とは到底言えない人生だとしても。俺みたいなボンクラでも社会に存在している以上は社会を構成している一要素である。砂粒より微小な一要素かもしれないが。だから俺が何か善をなせば、それがどんな些細な行いであったとしても巡り巡って社会を善くすることにつながる。いや、行えずとも、俺が人として善くあろうと意識するだけでも、この社会を善い方向へと向かわせる力になる。暗澹たる今の世の中、少しでも善くなったらいいと思いませんか? そんなふうに、自分は孤独じゃないんだ、居場所は与えられているんだ、ということを意識して、独身中年であっても卑屈にならず、残り数年の40代を、そしてこの先の人生を、陽気に前向きに生きていきたいと思っています。

 

青年だったわたしの兄は小鳥たちに赦しを乞うたものだ。これは無意味なようでありながら、実は正しい。なぜなら、すべては大洋のようなもので、たえず流れながら触れ合っているのであり、一箇所に触れれば、世界の他の端にまでひびくからである。小鳥に赦しを乞うのが無意味であるにせよ、もし人がたとえほんのわずかでも現在の自分より美しくなれば、小鳥たちも、子供も、周囲のあらゆる生き物も、心が軽やかになるにちがいない。もう一度言っておくが、すべては大洋にひとしい。

 

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

 

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

*1:風呂上がりに化粧水と乳液を塗るのは高校生のときから習慣にしていたがそれくらい

*2:人が孤独でいると狂うと言われる理由は自分の尺度と社会のそれとの齟齬を修正する気づきが得られないからだと思う。親しい他者がそばにいて注意してくれれば気づける。でも耳を貸す気も改める気もないならその人は他者がそばにいても狂うと思う

*3:でも若い頃新潮文庫で10冊以上読んだぜ