腰痛体験記を二冊読む──高野秀行『腰痛探検家』と夏樹静子『腰痛放浪記 椅子がこわい』

 

 

 

作家二名の腰痛体験記。どちらも年単位の長患い。自分は幸いにも腰痛になったことはないが両方の肩が四十肩になって2年苦しんだので辛さはわかるつもり。昨年解放されたが右肩には今も痛みが若干残っている。力仕事するときは無意識のうちに庇おうとしてしまうし、変な姿勢で寝ると翌朝は痛む。関節炎になってみて初めて知ったのだが常に体が痛いのはものすごいストレス。当時は痛みのせいで始終イライラしていた。痛くて眠れない夜もあり、QOLダダ下がり。自分の場合物を持ち上げるのはおろか、シャツの袖に腕を通すとか、シャツの裾をズボンに入れるとかの日常の挙動すら満足に行えず、考えるのは肩のことばかり、もしかしたら一生この痛みが続いてしまうのかも…という恐怖に付きまとわれ、考えたくもないのに想念が浮かんでくるんだから、まったく、ろくなもんじゃなかった。あんな経験は二度としたくない。

 

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高野さんも夏樹さんもどちらもある日突然腰痛に襲われる。自分の肩もそうだった。夕方、仕事中、急にきた。で、両者とも治療院や整形外科へ行き、診察、治療してもらうが一向に効かない。別の医者へ行くと今度は全然違う診断をされ、そもそも腰痛の原因が何なのかすら判明しない。治療が捗らないから医者を転々とする羽目になる。高野さんいわく、町を歩けば整形、整体、治療院、カイロプラクティック鍼灸の看板が無数に目につく。ネットで「腰痛」と検索すれば「何千万とも何億ともつかない件数がヒット」する。東京だけでも腰痛を治療すると称する場所がいったいどれほどあるのか、それだけ腰痛に苦しむ人も大勢いるのだろうが、それはまた明確な治療法がない証拠とも思えてくる。

まるで密林――と思った。コンゴミャンマーのジャングルに一人うっかり迷いこむと、右も左もわからない緑の魔境だ。腰痛業界もそのとりとめのなさは同じだ。

腰痛患者が多いのならば治った人もまた多いはず。高野さんが身近な元・腰痛患者に聞いてみると、どうも腰痛は本人も知らないうちにいつの間にか治ってしまうものらしい。

大半の人が二~四年でよくなるというのは信用してもいいだろう。 ただし、よくなると言っても完治するわけではないらしい。スキーや登山ができるようになった父も、庭の草むしりのような屈む姿勢の作業は痛くてできないそうだ。 私はそこに一つの示唆を得た。それは、腰痛はなかなか完全には治らないが、なんとなくよくなってしまうもの、ということだ。

 

腰痛――に限らず病気や故障全般にいえることかもしれないが――は痛みが出るときはわりとはっきりしているのだが、治るときはどうにも曖昧だ。私の場合も、カルカッタでの「空港療法」以外は、腰の痛みが和らぐときはいつも「いつの間にか」引いている。

元・腰痛患者は現・腰痛患者にあれこれアドバイスしたがるものらしい。彼らの「先輩からの忠告」めいたアドバイスによると、 

あらゆる腰の病は、温泉・腹巻と腹筋・背筋、つまり温めることと筋肉を鍛えるという二点に集約されていく

湯船にしっかり浸かる。腹巻きをして患部を冷やさないようにする。水泳で腰に負担をかけず腰周りの筋肉を鍛える。そして温泉信仰。これ、本当なんなんだろうな。気持ちいいから自分も温泉は大好きだけれど、万病に効くみたいなのは明らかに宗教だよなとしか。信じるものは救われる? 鰯の頭も信心から?

 

あらゆる治療を試しても治らなかった高野さんは、器質の異常ではなく心因性を疑い、心療内科へ向かう。すると、心因性と診断したくせに医者は患者の話をろくに聞こうとせず薬を出すだけ。しかもその薬は抗うつ薬で、なぜうつ病ではないのに抗うつ薬なのかの説明もない。とうとう頭にきた高野さんは薬を全部ゴミ箱に捨ててプールへ。ヤケクソになって泳いでいるうちに少しずつ痛みは引いていった。高野さんによるとプールを歩くのではなく、泳ぐのがいいらしい。背筋をまっすぐにして背骨を伸ばすから、水泳はいわば「自力整体」。本格的な腰痛開始からこのときすでに4年が経過していた。『腰痛探検家』のエピローグにはまだ腰は万全ではないと書かれているが、それでも深刻な事態にはいたっていないとのこと。普段は腰痛を忘れてしまうほどまでに改善したそう。

体に結果を求めてはいけないのだ。腰痛が完治するというのも大いなる「結果」でありひいては「幻想」である。それを期待して人生の貴重な時間を過ごすのではなく、「まあ、今はこんなもん」と常に思うことが大切だ。よくなってしまえば儲け物くらいの感覚で、でも前に歩きつづける。期待せず、諦めず。

でも結局腰痛になった原因は何だったのだろう?

 

 

夏樹静子さんもありとあらゆる治療を試しながら50代の3年間腰痛に苦しめられた。ひどいと30分と立っていたり座っていたりできず、脇息にもたれたり、ソファに正座したり(正座の方が腰にきつそうだがそうでもなかったらしい)、タクシーでは後部シートに横になるなどして凌いでいたという。夏樹さんはセレブである。名医にわざわざ福岡の住まいまで来てもらったり、知り合いの医大の院長から紹介された名医にかかったり、当時腰痛に関しては国内最高レベルの整形外科に診てもらっていたのではないだろうか。飛行機で移動する際、座っているのがきついから2席並んだシートに横になりたい、しかし間の肘置きが邪魔、肘置きは整備段階でないと外せないので夫が航空会社のお偉いさんに頼んで夏樹さんが乗るときのみ特別に肘置きを外してもらったというエピソードは破格。周囲の人たちが皆夏樹さんに親切なので人柄によるところも大きいのだろう。気功を含めたさまざまな治療でも効果なく、遂にはお祓いまでしてもらう。腰痛の原因は平家の祟りといわれ供養したものの内心ではそんな非科学的な原因を信じてはいない。やれるものはなんでもやっておこうの精神である。

 

耐え難い痛みから遂にモルヒネ10ミリグラムに匹敵するほど強い鎮痛薬を打ってもらう。しかしそれすら効かない。打った医師は言う、「あなたの腰痛にはモルヒネも効かないだろう」、「末梢神経ではなく、脳が痛がっているんですよ」。器質的な問題は一切ない、いたって健康な体だと複数の医師から太鼓判を押されている。あと考えられる可能性は心因のみ。心因が、夜一睡もできないほどの腰痛を生むとはにわかには信じがたく、夏樹さんは断固としてこの診断を否定する。しかし半信半疑で望んだ絶食療法と、夏樹静子というアイデンティティーへの執着を放棄することで、ようやく快方へと向かう。 担当した医師によれば心因から胃潰瘍になったり、心臓に症状が出たりすることもあり、夏樹さんの場合は腰痛だった、ということらしい。うーん、ちょっと疑念を抱いてしまったが、実際森田療法で治っているのだから心因性腰痛だったのだろう。高野さんも書いていたが腰痛は二足歩行する人間にとって宿痾というべきもの。歩く方向に向かって背骨が垂直になるのがよろしくない。腰を痛めた人でも四つん這いでなら動けるのは背骨の向きがいかに普段人間に負担を強いているかを証している。

 

それにしても二冊読んで感じるのが、診る者によって診断がコロコロ変わる、医療の適当さというか曖昧さというか。東洋医学より西洋医学の方が歴史的な実績とエビデンスがあるぶん上と思ってきたけれど、二冊を読むとどっちも大差ないな、と。自分の体験から言うと、たいていの医者は診察の際こっちの話をろくに聞きもせパソコンと睨めっこしてるだけでムカつくこと多い。なぜ医者ではなく民間療法へ通う人が途切れないのか疑問に感じていたが、民間療法の先生の方がこっちの話を熱心に聞いてくれるのが理由だと知り、合点がいった。

 

自分もまた肩か、今度は腰か、それとも首か、膝か、どこか関節の痛みに苦しむ日が遠からず再び来るだろう。必死こいて治そうとするのもいいが、病いや怪我が避けられないものである以上騙し騙し付き合っていく覚悟が要る、と思った次第。