酒井順子『中年だって生きている』を読んだ

 

 中年本の一冊として。女性による中年本はこれが初か。この本も『中年の本棚』で言及されていた。

 

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著者は1966年生まれのバブル世代なので自分より一回りほど上になる。中年になっても旅行やファッションへの感度が高いのはやはりその世代特有と思う。世代や性別は異なるが、述べられる中年の悲哀は自分も覚えがある。

 

40代にもなると髪は薄くなるか薄くなる傾向を見せ始め、あっても白くなったり、顔にはシワやシミができ、たるみ、髭は濃くなり、腹は出、二の腕には脂肪がつき…と全体的にフォルムがだらしなくなる。20代までは似合っていたTシャツやかわいいキャラクターグッズが似合わなくなる。もちろんその人がしたいファッションをすればいい、と思う気持ちもあるけれど、弁えられない、というのはちょっと痛い感じを人に与えるものである。

 

 アジアの安宿を流れ歩くようなバックパッカーもまた、同じような悩みを持っているらしいのです。知り合いの旅好き中年男は、若い頃からのバックパッカー。今でもたまにその手のことをするらしいのですが、「安宿に、そしてバックパッカー姿に、どうもしっくりこなくなった自分を感じる」と言います。

「安宿という背景には、若者が似合うんだよなぁ」

と。

 

若者は、肉体に張りがあるからこそ、張りの無い衣類を着こなせます。が、肉体に張りが無い中年が張りの無いものを着てしまうと、全体的にヨレた印象に。洗いざらしの綿のTシャツなど、最も危険な衣類です。

 

 喫煙は、喫煙者にとっては無くてはならない嗜好品ですが、非喫煙者にとっては、迷惑以外の何物でもありません。同じように中年の少女性というのも、本人達にとっては精神の安定を保ったり、ときめいたりするのに非常に重要なものであっても、他人から見ると「げっ」とか「気持ち悪い」となってしまう。

 だからこそ我々は、「中年にとっての少女性とは、嗜好品である」ということを理解しなくてはならないのです。喫煙行為と同様に、一人もしくは同好の士だけの時にしか、それは表に出してはいけないものなのではないか。

 

自分は春秋はスエットパンツにパーカー、キャップといういでたちがもう何年もデフォルトになっているが、確かに40代でこの格好は恥ずかしいものかもしれない。一時期タートルネックとかジャケットとかちゃんとした中年に見えるような服を着ようとしていた時期もあったが、人からどう見られるかと自分がラクであるかを天秤にかけた結果後者が勝ったため、以来惰性でそうしている。

 とりあえず自分のことは棚に上げておきますが、友人がおばちゃんに見える時というのは、すなわち「ラク」の方向に逃げた時です。「お洒落は我慢だ」という話もありますが、人は年をとると、肉体的な我慢がどうしたって利かなくなるもの。「お洒落」と「ラク」を天秤にかけて「ラク」の方に目盛りがぐっと傾いた時に、私達はある一線を越えるのです。

 

だんだん年をとると子供に近づいていくような気がしている。自分のこれまでの人生を振り返ると20代半ばから30代前半にかけてがもっとも精神的に大人だったような気がする。そこからは下降線。だんだんおっさんになって周囲が気を遣ってくれるようになるから勘違いするのだろう。子供が、自分は守られている、とわかって好き放題やるように、おっさんも自分は咎められないとわかって傍若無人に振る舞うようになるのではないか。職場で年長者を見ていてもそう思うし、自分の胸に手を当ててもそういうところがある。わがままも子供ならば可愛らしいから許されるが、おっさんが同じことをしても可愛くないから許されない。あと、プライドが高くなるのか、年下に頭を下げることが苦手になる。30代の頃は20代の人に仕事を教えてもらうのに抵抗なかったのに、40過ぎてから苦痛に感じるようになって消極的になった。若い頃、あのおっさんはどうして分からないくせに聞きにこないんだ、とイラついたものだが、いざ自分がその歳になってみると分かる。教えを乞うたり、お礼を言ったり、他人に頭を下げるのが恥ずかしいんだな。で、いつまでもそのままだから職場のお荷物になる→自分を誤魔化すために過去の栄光に縋る→老害になる、みたいな流れではないだろうか。中年でなお素直な人は稀であり、だからこそそういう人は何歳になっても成長・向上する余地がある。無能おっさんと有能おっさんの違いはメンタルの差であろう。

 

加齢により前頭葉が劣化すると感情のコントロールが難しくなると聞く。自分も、若い頃よりイライラすることが増えた気がする。自動車の運転中など特に。年をとると円くなるなどというのは嘘で、「人は老年になると、むしろ自分の性格の中で特徴的な感情を先鋭化させていく人が多い」との指摘にはハッとした。「怒りっぽい人はもっと怒りっぽくなり、ネガティブな人はもっとネガティブになり…というように」。同時に物事に対する執着が薄くなり、こだわりがなくなるのも中年期の特徴ではないか。もう自分の限界が分かるので完璧を求めなくなる。他人から大切にされる人間ではないことも分かってくるから他人に期待しなくなる。そういうふうにスレていく部分は確かにある。独身中年こどおじなんて、何が楽しくて生きてるの? と問われたら答えようがない人生である。今ならばまどマギの新作と答えるか。会社での昇進でも、子供の成長でもなく、アニメ映画の公開が人生の楽しみって。

 

自虐的かつ辛辣な文章により読む人を選ぶ本かもしれない。中年の哀しさ、滑稽さは、若さと老いの狭間にいることから生じている、と自分は見ている。もう若くはないが、枯れるには早過ぎる。その間で動揺する。「もう年だから…」と口では言いつつ内心まだまだ若い奴らに負けちゃいない、と思ったり、そんなふうには見えない、という相手の反応をひそかに期待したり。60歳にもなれば腹を括って自身の老いを受け入れられるのだろうが、40代はまだ若者の側に所属しているとの自惚れ・勘違いが手放せないのがつらい(伴侶や子供がいれば相対化もできようが、独身と来た日には…)。こういういやらしさ、可笑しさが中年を哀れで滑稽な存在にする。でも、哀れでも滑稽でも、生きていかなきゃならんからなあ。

 

 

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