またこんなに本を買ってしまった。
俺の部屋には数十冊か、ヘタしたら100冊以上積読本がある。10年以上積んでるのもザラ。読まないまま処分した本なら数え切れない。処分して後悔もとくにない。とはいえ俺は100歳まで健康に生きるつもりなので持ち時間はまだ50年以上ある…というのは冗談にしても(本当は本気です)、何年か前に自作本棚をDIYした際の整理をサバイブした今並んでいる本たちは今後も手放さないつもりでいる。いつか読むはずなので。
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近視だからメガネかけてるんだけど最近本格的に老眼になったようでメガネだと本が読みづらくて仕方ない。ベッドに横になって読書するときは外すようになった。
あとで読むは読まないという声も読書界隈にはあるようだが、実体験として10年以上積んでいた『指輪物語』を今年ようやく読んだので、あとで読むは意外と読むもんだよ、というのが俺の所感である。
Amazonの注文履歴。この赤箱のは売ってしまって緑箱の最新版を買い直したので厳密な積読ではないかもしれないが本質的には同じことである。
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『失われた時を求めて』も10年積んだのち1年かけて読んだ。所有さえしていればいつか読む機会は巡ってくる。焦りは禁物。寝かせて熟成させよ。本も己も。
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本は一冊買うと十冊くらい読みたい本や必要な本が発生するので、買えば買うほど買いたい本が増えていく。それが増えなくなるのは老化で頭が弱ってきたときか、新自由主義に毒されて効率で読書を語るようになるときだ。
— 中野善夫 (@tolle_et_lege) 2024年7月21日
6冊しかないから無駄になる。600冊、6000冊と増えていけばそこの意味のある繋がりが生まれてくる。自ら目的を持って選んだ6000冊はただ放置している6冊の千倍の無駄があるのではなく、有益な個人図書館になる。もっと本を買って天に届くまで積み上げよう。 https://t.co/qTomFH88cN
— 中野善夫 (@tolle_et_lege) 2024年10月2日
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もっと本を読む時間がほしい。本当は労働なんてやってるほど暇じゃないんだ俺は。
以上は前置き。以下、本題の7月に読んだ本の感想まとめ。引用箇所はブクログに書いた感想のコピペ。
- 奥窪優木『転売ヤー 闇の経済学』
- 原浩『火喰鳥を、喰う』
- 上條一輝『深淵のテレパス』
- 上條一輝『ポルターガイストの囚人』
- 小泉悠『ロシア点描 まちかどから見るプーチン帝国の素顔』
- 浜由樹子『ネオ・ユーラシア主義 「混迷の大国」ロシアの思想』
- 安田浩一『ネットと愛国』
奥窪優木『転売ヤー 闇の経済学』
Switch2転売の話題が(はてブで)盛り上がってるころ読んだ。今はすっかり沈静化した。なんだったんだあれは。ちなみに俺は欲しいけど抽選外れまくったんで持ってません。話題になってるときは欲しかったけど今はべつに買えなくてもいいやって気になってる。
ポケモンカード、PS5、ディズニーグッズ、ジャパニーズ・ウイスキー、スマホなどの転売事情。半分くらいは中国人転売ヤーの話。最後の方は闇バイトの話みたくなってしまい本書の趣旨から外れている感あり。
転売は商売の基本ともいえるのに転売ヤーが叩かれるのは彼らが水の流れを堰き止めて、本来なら大勢にいき渡ったはずの水を高額で売りつけるような真似をするから。また、転売ヤーから買える人と買えない人の格差が明らかになるというか、経済的な不平等感を自覚させられるからでもあるだろう。
少し前に東博で開催されたハローキティ展のグッズを転売ヤーが買い占める動画を見たときは、キティにまったく興味ないにも関わらず不快な気持ちになった。自分が好きなジャンルであんなのやられたら、好きなものってのは自分の一部を形成している要素だから、自分が侮辱されたような気持ちになるだろう。
転売をなくすには「転売ヤーからは買わない」がもっとも有効。
プロ転売ヤーは売れそうなイベントやグッズの情報を常に調査している。不快な思いをしたくなければ人が群がるようなものには目を向けず、人のいない方面へ目を向けた方がよさそう。マニアックな方へ。旅行もそう。観光地は人が多すぎてそこがいいところでも人の多さで台無しになる。まだ知られていない場所を自分で開拓する。難しいことだが。
フリマアプリやSNSなどテクノロジーの発達が転売を容易にした。自分も15年近く前無職だったとき、生活費の足しにしようと不要品をアマプラで売っていた時期があった。俺の場合は仕入れて売るのではなくただの不要品の売却だったけど、おかげで助かった面がある。あの頃メルカリがあったらアマプラではなくそっちで売っていただろう。メルカリの登場は大きい。スマホで出品でき、対面なしで発送できる手軽さ。人の意識を変えてしまったんじゃないか。買って失敗したらメルカリで売ればいいや、と思えるようになった。
原浩『火喰鳥を、喰う』
SF要素のあるホラー。『ネット怪談の民俗学』によると、近年ホラーにおいて何々村みたいな因習村ものは差別的であるとしてテーマ的に避けられるようになり、代わりにSF要素が用いられる傾向にあるとのこと。
秋に映画が公開されるから予習のつもりで読んだんだけど後味悪くて無理だった。せっかく主人公たちが一生懸命がんばったのに全部掌の上ってのはなあ。主人公の一人称語りなのに家族を下の名前で記述する文章も違和感あった(伏線かと思っていたが違った)。
上條一輝『深淵のテレパス』
実話怪談を聞いて以降、その人の周囲で異変が観測されるようになるという話。このホラーがすごい!2025年版で国内1位なのも納得の面白さ。
スプーン曲げやテレパシーといった昭和オカルトの懐かしさ。『リング』や『残穢』といった過去の名作への目配せ。舞台が戸山公園なのもいい。都内でも有数の心霊スポット。俺は霊感なんてないし怪奇現象にも懐疑的なんだが(あった方がロマンはあるとは思っている)以前訪れたとき視界に靄がかかったようになって妙に気が滅入るという体験をしている。あれはなんだったんだろう。そのときは戸山公園が心霊スポットだと知らなかったので先入観ではない。もう一度訪れて確かめてみたい気持ちはあるけど心霊スポットと知った今では心理的バイアスがかかるから検証は不可能だろう。
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主人公たちは怪奇現象の調査を趣味で行っている。怪奇の実在を否定せず、かといって認めてもいない。現象のデータを収集・分析して科学的に解明しようとする。天井裏から謎の物音がするなら天井裏を埋めてしまう、続編の『ポルターガイストの囚人』ではポルターガイスト現象に対して動く物がなければいいと家具を断捨離してしまう。怪異への対処方法が現実的でいい。映画『来る』で松たか子演じる霊媒師がファブリーズしながら「これ除霊に効果あるんですよ」と語るシーンを連想した。
怪奇現象は基本的に「しょぼい」と主人公は自説を語る。せいぜいかすかな物音を立てるとか嫌な感じを与えるくらい。それを過度に受け取って破滅するのは受信者側の問題であるとする。『残穢』の呪いもそんなふうに描かれていた。
怪奇現象については留保が付いているが超能力の実在は一応認められている。とはいえこちらもしょぼい。しょぼいがクライマックスで効果を発揮する。タイトルの伏線回収するシーンは熱い。
ケリがついたあとで怪奇現象が合理的に解釈できる可能性も示される。オカルトは実在するのか否か、どちらとも言い切らない世界観が好ましい。
上條一輝『ポルターガイストの囚人』
『深淵のテレパス』続編。
今回はポルターガイストがメインの怪奇現象。今作の舞台は東京スカイツリー。前作では謎だった、晴子が超常現象にこだわる理由が明らかになる。
序盤は少しだれた。依頼者が失踪して以降、かつてあった連続誘拐殺人事件の詳細が明らかになるあたりが面白さのピーク。終盤は怪奇現象の規模が大きくなりすぎてしまいやや興醒め。前作に引き続き、怪奇現象、全然しょぼくない。元凶である人物がなぜ誘拐殺人や電波ジャックをしようとしたのかは推測の域を出ない。自己顕示欲、承認欲求。超常現象を陰謀論や分断と絡めて処理するのは上手いと思った。
超常現象があるかないかをデータの収集・分析によって判断する主人公のスタンスは前作と同じ。解決したあとで超常現象的な出来事を合理的に解釈することもできると示すのも同じ。このバランス感覚が好き。
物語のクライマックスでは前作同様超能力が活躍する。前回はテレパシー、今回はサイコキネシス。サイコロのシーンで熱くなったが種明かしで笑った。
床が少し傾いているだけでも人は平衡感覚に異常をきたし心身の不調に陥りうる。ポルターガイスト現象は一種のサイコキネシスで中心にいる人物は家庭環境に問題を抱える未成年か若い女。超能力を信じているかいないかが実験結果に現れるヒツジ・ヤギ効果。幽霊とは霊魂ではなく物体に宿った記憶を観察者が観測しているに過ぎないとするストーンテープ理論。呪いとは暗示であり体質的にかかりやすい・かかりにくいがある。どこまでが学術?でどこからが創作かわからないけれど紹介される数々の蘊蓄も楽しかった。
『リング』や『残穢』では呪いはウイルス(のようなもの)として描かれる。感染し、影響範囲を拡大していく。一方で体質的にかからない人もいる。病気と同じ。あるウイルスに感染して病気になって一週間寝込む人もいれば、同じウイルスに感染しても昼飯のあとちょっと眠くなるくらいで済んでしまう人もいる。
小泉悠『ロシア点描 まちかどから見るプーチン帝国の素顔』
ロシアについて、人、住宅、地下空間、街並み、食事の面から紹介する。終わり近くにプーチンについても書かれている。2022年5月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってすぐの刊行。
住宅や街並みについての話がとくに面白かった。ソ連時代のKGBによる盗聴、彼らはそれを隠さなかった。存在をアピールして市民に常に監視されていることを意識させ萎縮させるのが狙いだったからだ。スターリン時代の高級アパートは住民がよく消えた。消えた人を訪ねてくると近所の人はそんな人は最初からいなかったと答えるという。怖すぎる。ロシア人の別荘や森への執着、ゴミ問題の話題は初めて知った。
現在でもモスクワには怪しげな土地があり、興味本位で撮影すると当局とトラブルになるとのこと。自由が制限された国。戦争中の今なら尚更だろう。
権力の言いなりにはならないのがロシア人の気質、それが強いリーダーの待望につながる。プーチンの長期政権をロシア人も望んでいるのか。
プーチンは国家のアイデンティティを軍事力と思い込んでいる、また引退後に降りかかるかもしれない危険を恐れているから引退しない、との指摘になるほどと思った。
ロシアの公衆トイレがめちゃくちゃ汚いとは米原万里のエッセイでも読んだ記憶があるので本当なのだろう。
ロシア人は権力者やルールに反抗することで自己を誇示したがる傾向があり、それが強いリーダーの待望につながる。強い俺たちの上に立つ人物はさらに強くなくては我慢ならない、みたいな心理が働くようだ。
プーチンが大統領の座を退かないのは2022年のカザフスタン政変が関係しているのではないかと著者は見ている。元大統領のナザルバエフは権力を手放した途端、後任者に公共の場で辱められた。それを見て権力の座から退くのを恐れるようになったのではないかと。
海外にあまり興味ない俺にとって、ドストエフスキーの祖国ロシアは唯一の行ってみたい外国。いつか気持ちよく行ける日が来るだろうか。
浜由樹子『ネオ・ユーラシア主義 「混迷の大国」ロシアの思想』
木澤佐登志『闇の精神史』にもネオ・ユーラシア主義への言及があった。西でも東でもない、または西でも東でもあるユーラシア(ヨーロッパとアジアを合わせた語)の国としてのロシア。
ウクライナ侵攻を決断したプーチンがネオ・ユーラシア主義を信奉しているという話は眉唾のようだ。プーチン政権の掲げる反リベラリズムが、ナショナリズム的なネオ・ユーラシア主義と重なる部分があるというだけで。
2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻。それを指揮するプーチン大統領の念頭にはネオ・ユーラシア主義があるとする声があった。その思想についてロシア思想史研究者が紹介する。
ネオ・ユーラシア主義は哲学者から政治家まで幅広い人々によって語られ、その立場によって微妙に中身も異なるため、これがそうだと指させる単純なものではない。ただ共通点として、
ポスト冷戦期の世界で「西側」の思想や経済体制こそ「正しい」とされる価値観への反発、ロシアを「西側」世界とは異なる「ユーラシア」(ヨーロッパとアジア)として定義していること、いずれは「西側」に対抗する「極」となり得る未来に期待していること、が挙げられる。
本書ではプーチンがネオ・ユーラシア主義を信奉していると結論づけるのは早計に過ぎると見ている。ただしプーチン政権のキモである反リベラリズムはネオ・ユーラシア主義と重なる部分がある。ネオ・ユーラシア主義と聞くとドゥーギンの名が即座に連想される(というか彼しか知らない)がネオ・ユーラシア主義は彼の専売特許ではない。プーチン政権のブレーン、プーチンのメンターと紹介されることもあったものの実際には彼とプーチンの関連はほぼない。これは意外だった。ドゥーギンが自身をそう演出しているのだという。にも関わらず彼の顔写真が帯なのはセールスのためかな。
極右でオカルトやスピに親和性のある「ビッグマウス」のドゥーギンより、グローバリズム批判、西側世界へのカウンターとしてネオ・ユーラシア主義を提唱したパナーリンの考えの方が現実的かつ思想的な深みがあって面白い。独善的な西側的世界観、資本主義へのオルタナティブとしての思想。社会主義は失敗したけれども、ロシアって本当に興味深く、存在感ある国である。
「ロシアのアイデンティティは重層的である。「西」であり「東」であり、ヨーロッパでありアジアである。多民族・多宗教が重要な要素でありながら、正教(キリスト教)文化圏としての色も濃い。現在の国民国家とかつての帝国としてのイメージが重なり合い、内向きであったかと思えば、時に帝国主義の顔も見せる。先進性と後進性を併せ持ち、近代性と前近代性が混在する。様々な意味で矛盾しているのに、トータルで見れば一体性があるように思える。こうしたロシアの複雑さを、新旧のユーラシア主義は捉えようとした。」
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安田浩一『ネットと愛国』
これはすごい本だった。外国人差別、右傾化、陰謀論やデマの拡散、ネットde真実等々2025年の今、あるいはこのあいだの参院選前に見られた風潮はこの本が書かれた2012年からすでにあったのだ。読みながら『嫌韓流』とかあったなあ…と懐かしくなった。内容知らんけど。一部の人たちによる韓国への敵対感情は2002年開催の日韓ワールドカップに遡るという。
俺はテレビ見ないし(部屋のテレビに引く配線がない)世の中の動向に疎いからよく知らんけど、今の日本の若い人は韓国の芸能人に好意的なんじゃないの。過激な在日バッシングを今読むとまるで別世界のよう。バッシングの対象はその後インバウンドの中国人、技能実習で来日したベトナム人、川口市周辺のクルド人へと移り変わっていったように思う。おそらくそこには失われた30年で経済的に下降の一途をたどっていった日本の現状が反映している。生活苦による無力感と絶望感が社会への憎悪となり、それがわかりやすい「異物」である外国人へ向けられているのではないか。
在特会のルポ。単行本は2012年の刊行。ポストトゥルースな2025年の現状はすでにこの頃にはすっかり準備されていたんだなという驚きの連続だった。
彼らは愛国の名のもとに差別する。しかし彼らの活動には思想も地域社会との共生もない。まるで「愛国に名を借りた鬱憤晴らし」のようなのだ。ある朝鮮学校のOBは語る。「朝鮮人がバカにされるのは今に始まったことじゃないしな。それにあの人たちだって、楽しくてしかたないって人生を送ってるわけじゃないんやろ?」
在特会はインターネット上で似た意見を持つ者たちが集まって結成された。平成22年には活動資金として年1800万円ものカンパが集まった事実から、彼らの活動がその程度には市井で支持されていると考えられる。もっとも、有力な支援者だった資産家女性を失った今はどうなのかは知らない。動画配信で支持者を集める手法のため内容が過激化していき、やがてついていけなくなった一部のメンバーが離脱する事態に至っているのは昨今のYouTuberの動向を予告しているかのよう。テレビは捏造ばかり、真実はネットにあるとのネットde真実な人たちへの言及もある。
在特会が目の敵にする在日特権について一章が割かれている。特権なんてデマだけど、彼らは事実には興味なさそう。暴れるために都合よく特権を持ち出しているように見える。外国人が生活保護を受給する一方で日本人は「水際作戦」で受給させてもらえず餓死する人まで出ている、と彼らは主張する。一方で彼らが年越し派遣村などで行政から切り捨てられた人々に寄り添ってこの問題に取り組んだ事実はない。ただ「「外国人にも生活保護が受給されている」事実を批判し、「日本で生きていけないのならば祖国へ帰れ」と叫び続けているだけである」。
「在日特権とかね、あまり関係ないように思うんです。盛り上がることができればいいだけで」「朝鮮人を叩き出せという叫びは、僕には『オレという存在を認めろ!』という叫びにも聞こえる」と元メンバーは語る。地域に根付いた活動もせず、地域社会に居場所もない人間でも在特会に参加して日の丸を持つだけで仲間から認めてもらえる。それが居心地いいから彼らは活動しているのではないか。
「連中は社会に復讐してるんと違いますか? 私が知っている限り、みんな何らかの被害者意識を抱えている。その憤りを、とりあえず在日などにぶつけているように感じるんだな」
フジテレビ抗議デモは在特会ほどの過激さはない、普通の人々(幼児を抱えた母親や若いカップルたち)が、何となくの不快感や「奪われた感じ」を表明しただけの「上品な」デモだったが、そこに6000人もの人々が集まった事実。「日本が貶められている」「何かを奪われた」と感じる人々の憤りは水面下で広がりつつ、ナショナルな気分を醸成していく。2015年に書かれた文庫版あとがきで、著者は3年前ほどの勢いを失った在特会について、今や彼らは用済みになった、在特会は差別のハードルを下げ、彼らを拒まなかった結果、社会が在特会化したと書いている。先だっての参院選での特定政党の驚異的な躍進は、まさにそれを証明するものだろう。
ただ、個人的には社会がリベラルな方向へ強く振れたがために保守への反動が起きているのが(日本のみならずアメリカやヨーロッパも)現状なのかなという気がしている。しばらくは世界的に保守的な傾向が続くのではないだろうか。
外国人労働者がいなくなれば今以上の人手不足によって経済状況は悪化する。その不満の矛先が次は高齢者や障害者や独身者といった「生産性のない」人間へ向けられないとも限らない。でも人間が内と外(仲間とそれ以外)を分けて生きていくしかない生き物である以上、啓蒙や教育によって差別がなくせるとも思えない。難しい。
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