2024年 年初に思う

 

今年こそ初日の出を見よう、撮影しようと思っていたが起きられなかった。

おそらく人生で一度も初日の出を見たことがない。

 

去年から重箱のおせちはなくなった。

家族で雑煮を食べた。

両親にお年玉をあげた。

 

昼頃、郵便受けを覗いたら楽園からの年賀状が届いていた。

去年Xでやっていたキャンペーンに、70名の狭き門を通過して当選したのだ。

年賀状をもらうなんて何十年ぶりだろう。昔から友だちがいない俺だからもう20年以上もらってないんじゃないか*1。最後にもらったのは世田谷で一人暮らししてたときに自転車を買った自転車屋からだったような気がする。ならやっぱり20年以上ぶりになる。というか今年車買ったのにディーラーは寄越さないんだな。経費削減か。

年賀状のイラストはpanpanyaさん。裏返して見た瞬間、すげえ、と声が出た。新刊『商店街のあゆみ』を読んで以来すっかりファンに。『商店街のあゆみ』を購入したのが先月上旬、それから1ヶ月のあいだに我が家のpanpanya作品は4冊に増えた。装丁が素敵なので紙の本で全巻集めるつもり。

 

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去年の暮れから思っていたが人生でもっとも年末年始感のない年末年始。なんでこんなに年末年始感がないのだろう? 例年ほど寒くないからか? いや冬の寒さってこの程度だったっけ? 

 

住宅街は静か。スーパーは元旦休業。表に人の姿は少ない。走っている車も少ない。

俺が子供だったころの正月が働き方改革によって戻ってきた。なのに郷愁はない。一月のとある一日って感じしかない。

 

昼寝したり本を読んだりして半日過ごした。

 

15時過ぎ、体を動かしたくなり一時間ほどのつもりで散歩へ行く。ドアを開けると風が強い。途中、ひと気のないお寺を通りかかった。近場ながら入ったことはなかった。ついでだからここで初詣を済ませた。

 

1時間ちょっとで7000歩弱歩き、そろそろ日が暮れるから帰ろう、と急ぎかけたところでポケットの中のiPhoneがブーブー鳴り出した。びっくりして取り出すと能登半島地震を告げていた。「地震です」の例の声。立ち止まったのがちょうど住宅の前で、その家のテレビからトゥルントゥルンのアラームが聞こえてきてゾッとした。元旦から地震は勘弁しろと、しばらくその場に立ち止まってiPhoneをいじって速報を見ていた。揺れは感じなかった。マクドナルドでダブチセットをテイクアウトして早々に帰宅した。

 

帰宅するとリビングのテレビは緊急特番に差し替えて放送していた。NHKのアナウンサーが切迫した声で避難を呼びかけていた。俺が現地にいたらパニクりそうなほどの切迫感があった。マックを食べながらしばらく見ていたが東北のときのような大きな津波がないようで安堵した。その場にいた両親に聞くとやはりこちらは揺れなかったらしい。

 

まったく、とんでもない元旦じゃないか。

俺の記憶にあるかぎりワーストクラスに最悪な元旦じゃなかろうか。

 

阪神・淡路が俺が高校生のときで、それから新潟、東日本、北海道、熊本、ぱっと思い出せるだけでも30年程度のあいだにこれだけの場所で大きい地震が起きている。幸いにも自分はそれらとは無縁でこれているけれども*2いつ何時当事者になるかわかったもんじゃない。災害に限らず、事故や病気もそうだが、今何事もなくここでこうしていられることが、ここでこうしていられるだけで、すでに幸運なんじゃないのか、という気がしてくる。まったく、人生、世の中、何が起きるかわかったもんじゃない。日々に感謝とか、幸福を噛み締めて毎日を生きろとか、そんな大層なことは思わない。薄情だからそんな殊勝な気持ちを抱いても半日も保たない。ただ、今ある日常がいつぶっ壊れても全然おかしくない、十分あり得ることなんだ、と頭の片隅に置いておいて、うっすらでもその覚悟をして生きていく必要があるかもしれない。心の備えとして。あと、最低限でいいから災害用の備蓄をしておいたほうがよさそうだ。

 

新年の抱負は毎年変わらない。

健康と金を大切にして、仕事を無理せず頑張り、一年間生き延びる。

以上。

 

 

 

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*1:さすがにその間メールやLINEによる新年の挨拶はあったが

*2:直接は無関係だけれど東日本大震災を遠因に前の会社を辞めてはいる

2023年を振り返る

 

2023年最後の日没

 

これ書いてるのすでに2024年1月1日なんだがまあいいだろう。

2023年、あまりこれといったこともない。早かったといえば早かった気もするが、中年になって以降の時間感覚に慣れてきて、こんなもんだろうという感じ。

7月に部署異動した直後は覚えること多く、慣れない作業に心身ともに疲れ、面識がほぼない人たちに囲まれストレスがあったが、半年が経ってだいぶ慣れた。これ覚えられる気がしねえなあと思っていた業務も日々目的意識を持って取り組めばいつかできるようになる。俺はやればできる子*1

 

今年あったことといえばコロナウイルス5類移行か。戦争があちこちで始まり、芸能界や政界の不祥事もあり、すっかりコロナの存在感も薄くなってしまった。だからというわけではなく、単純に接種直後体調崩して何日も寝込むのがいやで5回目のワクチンは接種券は届いたものの打たないことにした。このブログには書かなかったが、2023年、同居している老親ともコロナに感染した。同居しているとはいえ交代勤務をやってる関係もありあまり普段から顔を合わせないので俺だけ感染しなかった。無論二週間程度は帰宅して手を洗ったらアルコール消毒、トイレは別々、ノブなど共用部分は直接手で触らない、という感染対策を徹底した。

 

絶対俺も感染するだろうな、イヤだなあ、と思っていたもののならなかった。代わりに、と言うのも妙だが39度近くの発熱を伴う胃腸炎には2回かかった。そのうちの1回が両親がコロナから回復し始めたタイミングだったのでコロナだろうと思ったのにクリニックでPCR検査をしたら陰性だった。俺も驚いたが医師も驚いていた。なお、両親は発症後二日もしたら元気に動き回れるようになった。といっても母は認知症で足も悪いのでベッドから起き上がれる、といった程度だが。

 

あの状況で感染しないのなら気をつければ大丈夫そう、と俺の中で確信を(勝手に)もったのがワクチンを打たない決め手になった。あのとき感染して、でもワクチンのおかげで軽症で済んだ、となれば5回目も接種しただろう。

 

もう全然テレビを見ないから世の中のことはほとんど知らない。ニュース知識ははてブから仕入れるくらい。SNSからは距離を置くようにした。その浮いた時間を読書にあてる。テック企業のアルゴリズムに依存してはならない。抵抗せよ。自分の時間を取り戻せ。

 

依存といえば11月10日から晩酌をやめた。今も続けている。年末年始くらい例外として飲んでもいいことにしようか、と気持ちが揺れたこともあったが、そうやって例外を一度でも設けてしまうと、次はGWだからとか、夏休みだからとか、何かのお祝いだからとか、結局なし崩しになってしまい都度誘惑と戦うはめになる。だったら一切の例外を認めないスタンスの方が精神的に楽だ、と思いそうすることにした。「晩酌禁止、例外なし」。

飲酒欲求は全然ない。もともとなんとなくの惰性で飲んでただけだからか。今は酒の代わりに伊藤園ティーバッグほうじ茶を飲みまくっている。脂っぽい感じがして最近はコーヒーも苦手になってきた。酒やめても体重の変化はない。長く眠れるようになった気はする。

 

2023年にあったイベント、あとは車を買ったくらいか。ヴェゼル、いい車で気に入っているので大事に乗っていきたい。昨日、走行距離が遂に1000キロを超えた。2017年から投信の積立をコツコツやってきて車はその利益で買えた。というか買ってもまだまだ余力がある。やっててよかった積立投資。来年からは新NISAが始まる。特定口座の投信を売ってでも(税金払ってでも)できるだけ早く、可能なら最速の5年で1800万円の枠を埋めてしまいたい。それで俺の積立投資もひと区切りになるだろう。その頃には50過ぎの独身者、金を使って健康なうちに人生を楽しむこともしていきたい。いや、人生を楽しむ金はまだなんとかなるとしても時間の都合がなかなかつかないのがサラリーマン、それが問題だ。

 

映画についてはすでにまとめた。2023年の大晦日ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』を見た。ゴージャスで空疎な映画だった。来年からは映画館へ行く回数を減らす。2023年は全然自宅で映画を見なかった。YouTubeの動画と違って映画だとちゃんと見なくちゃ、という気持ちにさせられ精神的な負担になる。今は動画配信サービスはアマプラしか契約していない。アマプラは動画視聴ではなく配送料無料が目的で加入している。梱包が雑になって以降めっきりAmazonで注文する機会も減ってしまったが。

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読書についてもすでにまとめた。積読を減らしていきたい。

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競馬について。

俺は素人だけどイクイノックスはあれ以上走らせてもリスクが高まるばかりなのはわかったので引退はしゃあない。来年…じゃなくてもう今年、シーズンオフの東京競馬場へ行ってみたい。開催日は大混雑だろうから人混み嫌いな俺には無理。

2023年の投票成績は過去最悪。へたくそ。もう俺は競馬は見るだけにしたほうがいい。有馬記念はソールオリエンスと迷ってジャスティンパレスを本命にした。あんな展開になるとは。道中もう少し前につけてほしかった。

 

 

旅行について。

2023年は高松へ行ったのだった。ひさびさの一人旅。

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うどん県、よかった。でも寝台特急で寝られず体内時計が狂ってしまいそのせいで一鶴の骨付鳥が食べられなかったのは心残り。関東だと横浜に支店があるみたいだが俺の家から横浜まで行くの(東上線なら一本で行けるは行けるが)面倒くさい。それにやっぱり本店で食べたい。

完全セルフのうどん屋へも行っておくべきだったと今振り返って思う。一度くらい体験しておくべきだった。寝不足だと弱気になるようで、よしいっちょチャレンジしてみっか、という積極性が出てこないのはよろしくない。もっと若ければレンタカーを借りて車でしか行けないうどん屋へも行ったと思う。実際今まで沖縄にせよ北海道にせよ和歌山にせよ高知にせよ、行ったときはレンタカー借りてあちこち回った。中年になると知らない土地を慣れない車で走るのが怖くなる。

 

香川のみならず四国全般また行きたい。panpanya作品の聖地、土佐清水にある足摺海底館へ行ってみたい。鰹のたたき。四万十の鰻。以前行ってからもう十年経つ。

桂浜 2013年

 

この記事がはてなブログで紹介され、それでブログ登録者数がちょっと増えた。自分の記事にこれだけ星をつけてもらったことはかつてなかったのでびっくりした。

 

高松のほかは夏に伊香保、秋に水戸へそれぞれ1泊したくらいであとは遠出しなかった。

コロナ禍の宿泊料金に慣れてしまって現在の価格が通常料金であるのに高く感じられ泊まりで旅行へ行くのに躊躇うように。2020年から年一回、都内のハイクラスホテルに泊まる遊びをしていたがキャンペーンによる補助がなければ俺の経済力では無理。マンダリンオリエンタル、ペニンシュラザ・キャピトルホテル東急…止まったホテルはどこも最高だった。いいホテルに泊まるのは楽しい。心がリッチになる。

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JREポイントが6000ポイント溜まっているので暖かくなったらどこかへビューーン! やってみようと思っている。

 

体調について。

二度胃腸炎になったが2023年はわりと平穏だった。肩の痛みのぶり返しはなく、頭痛で寝込むこともほぼなかった。運動習慣をつけなくちゃと思いつつたまに散歩するくらいで何もしていない。オフィスワーカーなら退勤後ジム通いも可能だろうが肉体労働ブルーワーカーは仕事のあとジムでさらに体動かす元気は残ってない。

 

お金について。

上の車のところでも少し書いたが2024年から始まる新NISAをできれば毎年360万円の枠を使いきり最速の5年で埋めてしまいたい。それをやったら以降は完全にほったらかし投資になるだろう、定年までは。2028年には両親のどちらか、あるいは両方、この世にいない可能性もある。その状況も視野に入れていかないといけない。

 

そのほか。

サードプレイス作りたいとか人間関係は重要といいつつ2023年は具体的な行動を何も起こさなかった。無理してやるようなことでもないだろうがもし機会や縁があれば2024年は自分の世界を広げるような何かに挑戦したい。

 

 

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*1:46ちゃい

2023年 映画ベスト10

2023年は42本を鑑賞。

2019年から映画館で映画を見るのを趣味にしてきたがそろそろ飽きてきた。

 

映画館の提供する暗闇、大スクリーン、音響設備に対する慣れによる感度の低下。

スケジュールに合わせて現地まで移動するだるさと費やす時間の大きさ*1

愚痴っぽくなるからあんま言いたくないがマナー悪い(うるさい)客との遭遇率の上昇*2

 

映画を見るのに専念できる映画館の環境は素晴らしいが上記の理由から来年以降は映画館へ行く回数を月2回程度に減らそうかなと。大体今年の半分くらい。「とりあえず見とくか〜」的な軽いノリで映画館へ行くことが多かったから来年からはちゃんと選択するようにしたい。浮いた時間は読書や散歩にあて、浮いた金は新NISAに回す。20本程度からベスト10を選ぶのは不可能だろう。なので来年以降はベスト3本を選ぶくらいになると思う。

 

今年はいい映画が多く、とくに邦画がよく(毎年言ってる気もする)いい映画ライフを送れた。宮崎駿北野武マーチン・スコセッシリドリー・スコットといった大御所が頑張ってるのに元気づけられた。

 

以下、軽く感想。順番は鑑賞した順。

 

ノースマン

サガの世界。途中からハムレットだと気がついた。激しい暴力性、血腥さが見応えあり。クライマックスの決闘シーンは大迫力。アニャ・テイラー=ジョイかわいい。ロバート・エガース監督は『ウイッチ』も好みで、『ライトハウス』を見ようと思いつつ結局まだ見ていない。U-NEXTはとっくに解約しており、そのせいもあったか今年はほとんど自宅で映画を見ない一年だった。

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ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVOLUME3

4DX3Dで2回鑑賞。前2作は知らずに見にいったが話は理解できた。というかめちゃくちゃ面白かった。とにかく画が強い。ストーリーも単純ながらちょっと泣ける要素あるし、敵役は憎いしで盛り上がる。ラストバトルは熱い。混戦シーンがすげーかっこよくて鳥肌立った。これ見たあと前2作見たけどあまり面白くなかった。3がずば抜けてる。

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怪物

俺、わりと是枝監督好き。この映画は複数の視点人物たちの視点から徐々に核心が明らかになっていくミステリめいた構成になっている。ラストの解放感が素晴らしかった。夏、雨上がり、Tシャツ。坂本龍一の音楽もよかった。

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君たちはどう生きるか

NHKのドキュメンタリーを見たら宮崎駿はそこまで高畑勲に執着していたのかとびっくりした。唖然というか。この映画の大叔父は高畑勲。主人公である宮崎駿は一人で対決するのが怖いからサギ男鈴木敏夫と二人で会いに行ったと。なんか笑えるな。ファンタジックな冒険譚でありハウル以降の宮崎作品で一番好き。周囲の助けあってこそだろうがそれでも82歳でこれを作っちゃうのは本当尊敬する。一生現役でいてください。ドキュメンタリーの最後でオーマとナウシカ描いてたのはなんだったんだろう。

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ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE

4DXで。まだ前編だけだけど十分すぎるほど面白かった。映画の楽しさがフルコースで提供される。見ている最中現実を忘れて映像に没頭し、見終われば満足感とともに映画館を後にする。これぞ映画を見る醍醐味って感じ。トム・クルーズは好きだがサイエントロジーは…。

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イノセンツ

童夢から影響を受けているとか。北欧スリラー映画の静かで不穏な感じ好き。子供ならではの残酷さがよく描かれてていいなあと思う。ラストバトルでそれまで無力だった主人公が遂に超能力に覚醒、自閉症の姉と協力して敵を打倒するのが熱い。しかもその戦いが、お母さんがスーパーに買い忘れたものを買いに行った間に始まり、終わるという。ブルーレイの購入考えてるが高いしどうしよう。

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アンダーカレント

これ、よすぎてブログに感想書けなかった。原作はずっと昔に読んだけどどんな話かすっかり忘れていた。冒頭から夫の失踪というミステリーはあるものの中盤まではわりと平穏に進むので展開がなかなか見えてこない。女の子が行方不明になったあたりから怖くなってくる。「取り返しのつかないことになったらどうしよう」、あのシーンの真木よう子の情緒不安定な感じはリアリティあってよかった。真木よう子井浦新リリー・フランキー永山瑛太、みんなよかったがリリーさんが存在感で頭ひとつ抜けてたように思う。胡散臭い私立探偵役がハマりすぎ。永山瑛太は行方知れずのままでもよかったと思う。見つかったせいで動機を説明する羽目になりストーリーの興を削いでしまったような。解明されないままの方がいい謎もある。

 

 

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン

3時間26分はさすがに長すぎと思うが『アイリッシュマン』とは比較にならないほど楽しかった。弱さから悪事を重ねていくディカプリオのダメ男っぷりが面白い。デ・ニーロの方は完全にサイコパスだろう。映画のあとの史実を知るとムカついてくる。

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正欲

かなりよかった。今撮られるべき映画だったと思うし今見るべき映画だったと思う。この映画を見たあとでミシェル・フーコーの性と権力に関する言説を知って解像度が上がった。国家の基盤は家族である、家族は異性愛による婚姻制度から成っている、婚姻制度は子を産み、育て、労働力として社会に参加させる役割を担っている。性欲はプライベートな個人の欲望と思われがちだが実際には国家によって周到に管理されていた、というのは気味悪い話で、じゃあその制度に参加できない者たちはどうやって生きていったらいいの? という話。ことは性欲・性癖の話に止まらない。社会が勝手に定める「正常」から外れた者はどうやって自分の居場所をこの世界に見つければいい? 異性愛者だが独身中年な俺だって正常から外れている側の一人だろうから他人事じゃない*3。「この世界で生きていくために手を組みませんか」。生きていくにはお互いの気持ちがわかる同志が要る。水はよくてペドはダメなのはなぜ? 加害性の有無? 何が「正しい欲望」なのか考えると頭が混乱してくる。その「正常」をジャッジするのは誰? 何? とか。

この映画の新垣結衣はよかった。ガッキーじゃないよもう。新垣さんだよ。素晴らしい女優だよ。全然笑顔なくて、人と目を合わせなくて、ボソボソ喋る役がドハマりしてた。大晦日、年越し蕎麦を両親と食ってて子供がテレビに映るとチャンネル無言で変えるの、独身実家暮らしあるあるだよなあと見入っていた。俺はもう両親が諦めたらしく結婚とか孫とか言われなくなったけど。アイドル的な役じゃなくこういう陰な感じの役をこれからも演じてほしい。

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TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー

俺が行く映画館はもっぱら近所のシネコン。ホラー映画はあまりかからない。客入りが悪いんだろう。もっとかけてほしいからホラーやるとほぼ必ず見に行くんだけどホラー映画で年間ベストに挙げていいなと思えるほどのクオリティの作品って少ない。見終わって、こんなんだったらトム・クルーズの映画や新海誠宮崎駿の2回目を見た方がマシだったな…と落胆しつつ映画館を出ることほぼ毎度。そんな中この映画はかなりよかった。設定はザルだがストーリーはしっかりしてたし、ちゃんと怖さもあり、主人公がバカだからトラブルを招いて人間関係が悪化していくというイヤさもありで、さらに時間も95分とコンパクトにまとまっていて秀作と言っていいと思う。アリ・アスターのよさがわからん俺にとってここ何年かで一番出来のいいホラー映画だった。構成も手堅い。意外性はないけど綺麗に終わるから見終わって気持ちいい。

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以上。

今のところ来年公開で楽しみなのはビクトル・エリセ監督31年ぶりの新作『瞳をとじて』に尽きる。エリセ作品のDVD BOXとBlu-ray BOXを持ってるファンとしては(エリセ監督というか『ミツバチのささやき』のファン)アナ・トレントの出演もありめちゃくちゃ楽しみ。あとはまどか☆マギカの続編。『叛逆の物語』をスクリーンで見ておおいに興奮したものだがあれを超える新作だったら楽しいだろうなあ。

 

来年もいい映画が観られますように。

 

 

*1:移動時間を含めると映画一本見るだけで半日潰れてしまう。それでつまんねえ映画だったりしたらもう…

*2:偶然か知らんが今年は多かった

*3:俺が知ってる同級生の大半はとうに結婚したり子供もったり離婚したりしてる

2023年読んだ本ベスト&裏ベスト

今年読んだ本は65冊。

去年が75冊だったので去年ほどは読めなかった。

ブクログの履歴を見ると5月は1冊、7月は0冊。7月は職場異動があり慣れない仕事、覚えることの多さにだいぶ参っていたので本を読む元気がなかったのだと思われる。5月は謎。

2022年は4月が2冊、9月が1冊とそこだけペースが落ちている。

俺は春と夏頃に本を読めない時期がくるっぽい。なぜかはわからん。記録をつけてると傾向が見えて面白い。

booklog.jp

 

今年もいい本をたくさん読んだ。

文章が合わない。内容がつまらない。難しい。興味が持てない。そういう本は無理して読まない。途中まで読んだとしても放棄する。自分にとって面白いと思える本だけを読むのが読書のコツ。46歳になったし、もう背伸びして難解な本読んでる俺カッケーしなくてもよくなった。というかおっさんがインテリな見栄を張るなんて痛すぎる。精神衛生的にもよろしくない。倉橋由美子だったか四方田犬彦だったか、つまらない本を我慢して読み続けるとそのうち頭がおかしくなると述べていたのは。そのとおりだろう。

 

「人生前半の課題は挑戦であり、後半の課題は別離である」という俺の好きな中井久夫の言葉がある。人生いよいよ後半戦(とっくに?)。読書をフィジカル的*1にもメンタル的*2にも楽しめるのが70歳までと仮定したら*3残りの時間は24年。年間で平均50冊読めるとしたら1200冊。俺に残された猶予はそんなもんか。その中には再読の本も含まれるから未知の本に限ればさらに数は少なくなるだろう。65歳まで今の会社で働くとしても定年後は年金生活になるからそうなったら今のペースで本を買うのは不可能になる。国書刊行会みすず書房の本は贅沢品としてため息まじりに棚から眺めるだけになるかもしれない。

 

今年7月にXでポストするのをやめた。見るのは続けているが以前より時間は減った。浮いた時間を読書に充てようと思っていたがなかなかうまくいかなかった。習慣化の努力がまだ足りない。うまくやればもう何冊か読めただろうに。

 

とはいえ人生は有限。人間何をしようと最後は必ず「途中」で終わるんだから過剰に意識しなくてもいいんじゃないの、とも思う。死ぬまでにあれも読まなくちゃとかこれも読みたいとかそういう強迫観念みたいなのからは自由でいたい。そういうの、なんか強制されてるみたいで窮屈な感じがする。リストの穴埋め作業やってるみたいな味気なさもある。

 

それに読書って、ただ書いてあることを読むだけじゃない。本屋で本を探すこと、選ぶこと、買うこと、所有すること、書棚に並べること、装丁を撫でること、ぱらぱらめくって内容を想像すること、これらもまた読書だと俺は思っている。読むことは読書という営みのうちのひとつに過ぎない。読書っていうのはとても懐が深いものなのだ。

…以上、独身中年ブルーワーカーの戯言である。

 

で、今年読んだ本から10冊を選んだ。

けっこう迷った。10冊に限定せずよかった本をすべて挙げてもいいのかもしれない。

でもあれを選びこれを除く…という行為から今の自分が何を好み何に関心があるかがより明瞭になるのではないかと思えたので10冊縛りで今回はやってみた。いやあ、今年は本当にいい本をたくさん読んだ。読書ライフ、充実してた。

以下、読んだ順に。

 

pha『人生の土台となる読書』

phaさんによるブックリスト。読書は自分を変えるのではなく自分を自分らしくしてくれる、という文章が印象強い。この本で紹介されて興味を持った本を何冊か読んだ。『カルトの子』『聖なるズー』『飼い喰い』『自作の小屋で暮らそう』…どれも面白かった。とくに『聖なるズー』はすごかった。ブックリストとしては去年読んだ荻原魚雷『中年の本棚』と同じくらい俺好みだった。進化論や脳科学といった普段まず読まないジャンルの本も読む気が出てきた。

今年はphaさんの本をよく読んだ一年だった。本書のほか『持たない幸福論』『どこでもいいからどこかへ行きたい』『しないことリスト』を読んだ。言ってることは毎回大体同じで、自分らしくあること、無理をしないこと、人とゆるくつながること、居場所をつくること、の大切さが書かれている。同じ系譜に連なる本として鶴見済『人間関係を半分降りる』も位置付けられる。この本もよかった。

 

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小島美羽『時が止まった部屋 遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし』

実際に孤独死現場の整理にあたる人が書いた体験記。死の状況をダイレクトに伝えてくる再現ミニチュアの強烈なインパクト(故人や遺族に配慮しており純粋な再現ではないらしい)。俺も生涯ひとりが決定している身なので他人事じゃねえな…との思いが。俺が今年、サードプレイス作りたいとか人間関係は大事だとか言うようになったのってもしかしたらこの本が影響していたのかも。とくに気が滅入ったのが火事場泥棒の話。孤独死した人物の部屋に友人を名乗る隣人がやってきて生前貰う約束をしていたと主張して遺族が見ている前で遺品をかっさらっていくケースは決して珍しくないという。こわ。きも。

カレー沢薫『ひとりでしにたい』とも共通するテーマ。

 

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シルヴァン・テッソン『シベリアの森のなかで』

フランスの冒険家、作家の著者が半年間シベリア奥地で過ごした記録。

隠遁は反逆である。小屋を手に入れること、それは監視画面から消えるということだ。隠遁者は姿を消す。彼はもはやインターネット上に記録を残さないし、通話履歴も銀行の取引データも残さない。彼は逆ハッキングを実践し、パワーゲームから降りるのだ。しかも、森に行く必要はまったくない。革命的な禁欲主義は都市環境でも実践できるからだ。消費社会では、都市環境に適応するという選択肢がある。ちょっとした規律があれば十分やっていける。裕福な社会では、まるまると太るのも自由なら、修道士を真似て本のざわめきに囲まれて痩せたままでいるのも自由だ。したがって、禁欲主義者たちは自分のアパルトマンから出ることなく、自らの内なる森に身を寄せているのである。

俺も埼玉県某市の住宅街のど真ん中の家の中に自分だけの森を作りたい。

 

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ミシェル・ウエルベック『滅ぼす』

刊行されているのを知らずたまたま立ち寄った大宮のジュンク堂で見つけて上巻を購入。ウエルベックってこんなだったっけ? と思うようなエンタメ展開に数日で読了、続きが読みたくてすぐ下巻を購入した。過去作にあった露悪的な性描写や世の中に対する嘲笑や毒は消えて全編に厳かな諦念が漂っている。大御所の風格を感じた。テロとの戦いや大統領選といったスケールの大きな話が主人公の病いとともにどんどん小さくなっていく。人間、死が迫れば仕事も世の中もどうでもよくなって最後は体の痛みと身近な人のことしか頭になくなるのかもしれない。

 

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背筋『近畿地方のある場所について』

カクヨムに書かれていたのがはてブでスターを集めていたので知った。読んだときはまだ掲載の途中で続きが書かれていくライブ感にどう展開するのかとわくわくした。書籍化すると知って嬉しかった。電子版ではなく紙の本を買ったのは呪いのシールが欲しかったから。構成が複雑なので2回読んで整理がついたときの方がより楽しく感じた。こういう情報の断片を組み合わせていく構成のホラー、好きだな。

 

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ばるぼら さやわか『僕たちのインターネット史』

最近のインターネット、便利になったけどつまんねえなと感じていて、その原因はスマホ普及によるマス層の流入と商業主義の蔓延にあると思っていたのだけど本書も大体俺と近い答えを提示している。「今ではインターネットは現実の上にかぶさっているもうひとつのレイヤー」という言葉が印象深い。普段は本や映画の話題をメインにXで検索するんだけど、先月車を買ってから同じ車種について検索してみたらこれまで俺が見てきたのとまったく異なるタイプのアカウントばかり出てきて衝撃を受けた。文章やノリが全然違って別世界。今更何言ってんだ、Windows Meの頃から何年ネット触ってんだって話なんだが…。俺は知らぬ間にクローズドなインターネットに閉じこもっていたんだろうな。その間にインターネットはどんどん変化していたのだ。もうインターネットは完全に棲み分けがされていて現実世界とイコールになってしまった(現実/非現実って枠組みでインターネットを考えるのがモロにロートル的思考なんだろうが)。

内容的に電子版が出てそうなのに出ていないの、謎だ。

 

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春日武彦『自殺帳』

精神科医による自殺にまつわるエッセイ。著者が実際に診た患者のほかに事件やフィクションの自殺を扱っている。フィクションを例に自殺を語るのってけっこう珍しい試みな気がする。三島由紀夫にふれないのが不自然に感じた。

自殺はさまざまな事情あってするんだろうから意志を尊重すべきなのかもしれないが、成功したあとで後悔しても取り返しがつかない点で俺はすべきじゃないんじゃないかなあと思っている。可能なら自殺に成功した人に質問してみたい。自殺してよかったですか、と。

今年は自殺に関する本をほかにも読んだ。『「死にたい」とつぶやく』『「死にたい」と言われたら』。

 

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小田嶋隆『上を向いてアルコール』

中島らも『今夜すべてのバーで』、吾妻ひでお失踪日記』と並ぶアル中本の名著ではないだろうか。アル中にストーリーなんてない、飲んじゃったのがすべてとか、アルコールのない暮らしは4部屋ある家なのに2部屋で暮らしているような寂しさがあるとか、アルコールのない暮らしを構築するには知性が必要とか、金言の宝庫。ところどころで著者の性格の悪さが滲み出ていい味を出している。

だらだら酒飲んで時間を潰してしまうのが嫌になって11月10日から晩酌をやめて現在も継続中*4。早死にしたくない。健康に長生きして世の中の変化を観察したい。また、氷河期世代としてこれまで社会から受けた仕打ちのぶんを少しでも金で取り返したいとも思っている(冗談です。たぶん)。

 

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アルテュール・ブラント『ヒトラーの馬を奪還せよ 美術探偵、ナチ地下世界を往く』

美術探偵によるナチ時代の彫刻調査の顛末。ナチグッズのコレクターなんてのがいるんだから世界は広い。趣味は奥深い。下手なフィクションよりはるかに面白いノンフィクション。元ナチ高官の子孫が素性を伏せて大企業のオーナー一族やってたり、政党を問わず政治家とナチ残党の関係が現在も続いていたりドイツも相当闇が深い。映画化したら面白そうだが題材的に難しいか。

 

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飛鳥部勝則『堕天使拷問刑』

復刊がXで話題になっていたのと、プレミアがついて中古価格が高騰してると知って興味を持って購入。この本も著者も知識ゼロ。ただのミーハー。

届いたら分厚い上に二段組の文字組みだったので怯んだ。しかし読み始めたら面白くてどハマりした。ミステリとしてはめちゃくちゃ。ホラーとしてはかなり面白い。クライマックスの盛り上がりはお祭りみたい。

先日、本書に続いて復刊した『黒と愛』を読み終えたが『堕天使拷問刑』の方が上かなと。著者は無口で無表情な女性にこだわりがあるのだろうか? ヒロインがどっちも綾波タイプというか長門タイプというか。江留美麗の方が示門黒に輪をかけて浮世離れしている。会話にならん。

飛鳥部作品、変にクセになる。休暇中に『鏡陥穽』も読むつもり。

 

もしこのブログを読んで興味を持った方がいても上のAmazonのリンクから買ってはいけません。大金出して古本を買わずとも書泉の通販で新品が定価で買えます。

 

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以上が2023年に読んだ本のベスト。

加えて、今年は雑誌をけっこう読んだのでその中から印象深かったのものを裏ベストとして挙げる。雑誌じゃないものも混じってるが…。

 

木澤佐登志『書架記』

ブックファースト新宿店のフェア特典冊子。木澤さんは『闇の自己啓発』で博覧強記っぷりを披露していた。テクノロジー関連や資本主義批判などを語っているイメージ。この冊子では硬軟問わず600冊超の本が紹介されている。俺と関心が重なるところもあればそうでないところもある。人が自分の好きな本をリスト化したのを見るのは楽しい。10冊20冊程度のリストじゃその人の特徴って見えてこない。ここから興味を持った本もある。巻頭エッセイ、本棚を廃墟に喩えているが俺は本棚は生成する森だと思っている。

 

 

本の雑誌20223年2月号 特集:本を買う!

中野善夫「本を買え。天に届くまで積み上げろ。」が素晴らしい。このエッセイに影響を受けたのか、今年は電子より紙の本をよく買った。中野さんご自身は本棚の電子化に邁進してるようで複雑な気分。

 

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国書刊行会50年の歩み

「特殊版元」国書刊行会創業50周年記念冊子。俺はあまり国書刊行会の本を持ってはいないけど気になる出版社ではある。マイナーな海外文学のシリーズ、ゴージャスな箱入り本、分厚い「鈍器本」を出してるイメージ。この冊子では普段知ることのない編集者の方々の話がたくさん読めて面白かった。「語り出したら止まらない」。営業車の運転が嫌で駐車場に停まってるバンを見た瞬間に嘔吐したってのに(失礼ながら)声出して笑ってしまった。国書刊行会のXアカウントって竹中朗さんなのかなと勝手に推測しているがどうか。本は内容を読めればいいってだけのもんじゃない、装丁を含めて本。『アーサー・マッケン自伝』買って今年の国書税納めなくちゃ。

 

 

ソローキン祭り 無料配布冊子

ロシアによるウクライナ侵攻未だ継続中。もはや日常の一部になってしまった感も。やべー小説ばっか書いてるイメージしかなかったのに今やソローキンは「皇帝化するプーチンを予言」していた作家として見做されているそう。ノーベル文学賞候補としても名前が挙がっているとか。『ロマン』しか読んでないけど『愛』と『親衛隊士の日』は持ってるので来年はソローキン読みたいな。この冊子ではソローキンのプロフィールと全著作(未邦訳作品含め)が紹介されている。『ノルマ』『四人の心臓』『青い脂』が面白そう。俺に読めるかどうかは別として。

 

 

現代思想2023年10月号 特集:スピリチュアリティの現在

石井ゆかり「上昇と下降、今を生きるための神殿」を読めただけでも買ってよかった。

 私は日々生きていて、目の前のことをなんとかしようとしている。ニュースを見ては理不尽に憤り、ケガや病気をして痛みにうめき、〆切や雨漏りに悩み、できれば善い人でありたいと願い、でもなかなかままならず、過去の傲慢を後悔し、今の自分の弱さを嘆き、人に盛大に迷惑をかけながら、もがきまわっている。もがき、泣き叫び、人生はそういうものだよと言って、同じ時代に生まれた者同士、背中をなであって生きて死ぬだけでは、足りないのだろうか。

 多分、人間はそれでは、足りないのである。

 

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吉村萬壱『萬に壱つ』

サイン入り生写真が付録で付いてくる豪華さ。エッセイが二本載っているがメインは写真。吉村さんの小説は読んだことがないがXアカウントはフォローしてて、ポストいいなあと思ったり、あと俺はこの人の撮る写真が好きで。とくに水面のアップで光の反射や波紋をとらえたやつ。変態っぽいとあるがどんな小説を書いているんだろう。Xでは真っ当なことを言ってる印象があるが。来年読んでみたい。

 

 

小指『宇宙人の部屋』

表紙のイラストに惹かれた。アル中関連本。自身は飲まないのに交際する相手が必ずアル中、しかも重度の、という著者による体験記。アル中の二人と向き合うにつれ自身の共依存を自覚していくという話。メインで描かれるのは二人の男性。どちらも超然としていて破格の人物。生活感溢れる部屋の写真に、この本の出版に関わっている都築響一の『TOKYO STYLE』を連想した。装丁がちくま文庫に似ているのも影響していたかも。文章がいいので重い話なのにすらすら読めた。アルコールはやばいドラッグ。

 

 

スペクテイター52号 文化戦争

アメリカに蔓延するポリコレについての解説。まだ半分くらいしか読んでないが、アメリカって今こんななの? という驚き。これじゃもう迂闊に発言できない。多文化尊重的な主張が言論を萎縮させるような方向に向かうのって皮肉な感じ。いやこれは萎縮じゃなく正当なのか? わからん。2016年の大統領選でトランプが勝てたのはポリコレに疲れた人たちが歯に衣着せない発言をする彼に惹かれたから。過去に遡ってレッテル貼りするキャンセルカルチャー、怖すぎる。

 

 

panpanya『商店街のあゆみ』

路上観察学と言われるとたしかにそうかも。本書を買ったあと『おむすびの転がる町』と『枕魚』も買って読んだ。俺はあまりこの人につげ義春っぽさは感じないのだが『枕魚』収録の「地下行脚」は絵にちょっとぽさがあるといえばあるかも。『おむすびの転がる町』収録の「そこに坂があるから」がよかった。日常のちょっとした事物や風景から想像が膨らんでいく、異界に迷い込む、panpanya作品のそういうところが好き。

 

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ユリイカ2024年1月号 特集:panpanya

インタビューでは路上観察学や考現学、幼少期を過ごした川崎市の原風景、見過ごされている日常的な光景や明日には消えているかもしれない物への関心などについて語っている。どれも作品に反映されている要素。「坩堝」なんてまんま誰からも顧みられず消えてゆく物たちの話だった。つげ義春との共通性がよく言及されるが、語り手のキャラクター性をできるだけ排除してオブジェクトや現象をメインに描く作風は、私小説的なつげとは真逆のアプローチに思える。

 

 

以上。

来年もいい本がたくさん読めますように。

 

 

*1:視力や筋力

*2:集中力や好奇心

*3:図書館に行くとそれくらいの年齢の高齢者は大勢いるのでもっと期間を長く見てもいいのだろうが余裕? をもって短めにしておく

*4:付き合い等外で飲むのはよしとするルールなので職場の飲み会には参加して飲んでいる

国家、権力、民主主義、政治について──松村圭一郎『くらしのアナキズム』を読んだ

 

 

アナキズム無政府主義と聞くと既存の体制をぶっ壊せ的な過激な運動をイメージしてしまうが本書のいうアナキズムは究極的な民主主義を指している。国家なしに暮らしをやっていくイズムとでもいおうか。デヴィッド・グレーバーやジェームズ・C・スコットを援用しつつ紹介される数々の知見は新鮮で面白かった。

以下、印象的だった箇所を引用しながら思うところをだらだら書いていく。

 

国家なんてそれほどいいもんじゃない

 ホッブスは、戦争状態を抑止し、危機に対処するためにこそ、主権国家が必要だと説いた。だが歴史的にみれば、国家は人民を守る仕組みではなかった。人びとから労働力と余剰生産物を搾りとり、戦争や疫病といった災厄をもたらす。国家はむしろ平和な暮らしを脅かす存在だったのだ。

 

 国家ができると、その社会は支配する者とされる者とに分かれてしまう。クラストルは、国家権力を生み出す根底には、権力への欲望とともに、隷従への欲望があると指摘する。一度、権力関係が生まれ、社会が支配者と被支配者に分化してしまうと、もはやあともどりできなくなる。だから国家なき社会では、あえて首長に恣意的な権力をもたせないようにし、専制王のようにふるまうことを阻止してきた。

一部の「未開社会」が国家をもたないのは国家をもつ段階に至っていないからではなく、国家をもつこと、人々を支配するための権力が生じることを拒絶したから。アメリカ先住民アパッチやアマゾン先住民ナンビクワラの首長たちに与えられる権力はあくまで期間限定だったり、気に入らないと感じた者は従わなくてもよかったり、部族への徹底的な奉仕を求められたりと国家におけるリーダーとは正反対な存在。権力による支配が生じないための知恵なのだろう。グレーバー『万物の黎明』にも似た話が出てくる。

権力とは鍛え上げられた肉体や強力な武器を背景にしているものではない。人々は権力者の武力が怖くて従うわけではない。80歳過ぎた国会議員を生物として見たときどこが怖い。殴り合いになれば勝てるだろう。なのに逆らえない。なぜか。彼には権力があると認めているからだ。権力とは目に見えないもの、だがあるとされるもの。それは関係性の中にある*1

隷従への欲望という言葉に昨今のジャニーズ問題を連想した。経営層も所属タレントもメディアも権力者による性加害を知っていながら利得を得るために見ぬふりをして彼に従った。すでに構築された権力関係において「王様は裸だ」と声を上げて正体を暴くことができなかった。あるいは訴える小さな声を黙殺した。

 

現代におけるアナキズム

成功した主な革命は、実質的にはすべてが打ち倒した国家よりもさらに強権的な国家を創出した。革命によって作られた国家はより強力に住民を支配した。というスコットの引用のあとでこう続く。

 ぼくらは歴史の教訓の上で現在地に立っている。政府を打倒する革命を目指すことが真のアナキズムだ、という立場はもはやとれない。スコットも、国家がいつでもどこでも自由に対する敵だとは思っていない。国家は状況次第では解放的役割をはたしうる。そして国家が成立する以前にも、奴隷制や女性の所有、戦乱、隷属の長い歴史があった。国家なき社会がつねに協調的で平等なユートピアだったわけではない。

フランス革命が最たるものだと思うがひでえ混乱と死の嵐。体制が変わるごとにかつての英雄が処刑される。大規模な集団を形成するのは人間の能力を超えている、もしくは人間の適性ではないのかもしれない。

 だからこそ、既存の国家の体制をうまく利用する。国家のなかにアナキズムの空間をすこしずつひろげていく。そういう意味での「保守的であること」が「くらしのアナキズム」には必要になる。

フーコーによる性と権力の問題。国家の基盤は家族である。その家族とは異性愛にもとづく婚姻制度に支えられている。人間の個人的欲望であるはずの性は、実は国家によって管理されている、と。ジェンダー問題を考える上でヒントとなりうる指摘ではないだろうか。なぜ性的マイノリティは生きづらいのか。権力に抑圧されているからだ。以前見た映画『正欲』における性欲についても想像が膨らむ。正しい欲望、間違った欲望、「社会のバグ」。正常な欲望とは国家にとって都合のいい欲望? 『知への意志』を読んでみたくなった*2

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民主主義国家という矛盾

 グレーバーはいう。ある集団が国家の視界の外でどうにかやっていこうと努力するとき、実践としての民主主義が生まれる。むしろ民主主義と国家という強制装置は不可能な結合であり、「民主主義国家」とは矛盾でしかない、と。

 

 国家が自分の手柄であるような顔をしている「民主主義」や「自由」、「平等」といった価値は、国家内部の動きから実現したものではない。むしろそれへの抵抗や逸脱の結果として生まれた。だからこそ、ぼくらがよりよき状態に向けて動けるようになるには、既存の国家がおしつける「常識」から距離をとり、そこでのあたりまえをずらしていく姿勢が欠かせない。国家は暮らしのための道具にすぎない。それがアナキストの身構えだ。

 

対話の重要性

民主主義というと多数決が思い浮かぶ。しかし多数決による採決は民主的ではない。なぜならそれは採択されなかった側の意見は無視され、彼らは多数の意見に強制的に従わされる仕組みだから。

 多数派の決定を快く思わない人びとを当の決定に従うよう強制する手段が存在しないのであれば、採決を取るというのは最悪の選択だ。採決とは、公の場でなされる勝負であって、そこでは誰かが負けを見ることになる。投票やその他の方式による採決は、屈辱や恨みや憎しみを確実にするのに最適の手段であって、究極的にはコミュニティの破壊をすら、引き起こしかねない。

多数決に頼らずどうやってコミュニティで物事を決定するのか。必要なのは対話だ。反対意見をもつ人が、意見が無視されたり排除されたりしているわけではない、と思わせる高度なコミュニケーションをとりながら妥協点を探っていくことが求められる。宮本常一は調査である村を訪れた際お願いをしたことがあった。すると村の住民はその問題を討議すべく寄り合っていろいろな意見を出す。結論はすぐには出ない。時には話題が脱線する。何日もかかった話し合いの末、ようやく宮本の依頼に応じる結論が出る。

 

結論を急がず、気が熟すのを待つ。気が済むまで住民たちに発言させて少しずつ妥協点を探っていく。こうした寄りあいは、村人の関係性を壊さないための配慮に基づくすぐれて民主的な取り決め方法だった。

 無理をしない。それは村人の関係性を壊さないための配慮だ。そのためには時間がかかっても仕方がない。物事を決めて先に進めるよりも、だれかが不満をもったり、対立したりしないようにコンセンサスをとることが優先される。まさに民主的だ。

 

異なる意見を調停し、妥協をうながしていく対話の技法。それこそが民主的な自治の核心にある。寄りあいの姿から気づかされるのは、そのあたりまえに受け継がれてきた人びとの知恵の凄みだ。

効率性の優先とか議論とか、そういうやり方は問題解決にほど遠く、不満や対立しか生まないのかもしれない。「論破」なんて論外だろう。事を荒立てずまとめるには時間がかかる。そしてそれをうまくやるには日頃からコミュニケーションの積み重ねがなくてはならない。よく知らない人間同士がいきなり話し合ったってうまくいくはずがない。

 

くらしのアナキズム

 くらしのアナキズムは、目のまえの苦しい現実をいかに改善していくか、その改善をうながす力が政治家や裁判官、専門家や企業幹部など選ばれた人たちだけではなく、生活者である自分たちのなかにあるという自覚にねざしている。

 

 行政の効率化やコスト削減が改革だとされる。だがムダを排除した効率性にもとづくシステムはいざというときに脆い。日本でもそのことを痛感させられてきた。危機に対処する鍵は、むしろ絶え間ない地道な営みのなかにあり、その積み重ねこそが「政治」なのだ。

 

基本的に著者はすげーいいことを言ってると思うんだが、日常的なコミュニケーションの重要性を強調されることが多く、人間関係が億劫な自分みたいな人間はどうしたら? という気持ちになるのがなんとも…。

 

熊本地震の体験をもとに、非常時に国家は役に立たない、隣人たちとの助け合いが重要というのはわかる。俺自身、たとえばコロナ禍の初期にマスクが手に入らなかったとき職場の人が作ってくれた布マスクを貰って助かったり、食糧のお裾分けとか、不要になった物のやりとりとかして交友関係のありがたみを感じることもある。だが……。

 

自分が人から好かれるタイプじゃないってのは自覚した上で、俺の考え方のベースとして、人間関係とは鬱陶しいものである、というのが大きめにある。だから日常のコミュニケーションこそが政治だ、とか言われると、そりゃそのとおりだろうがでもそうできるもんでもないしどうしたら…と途方に暮れてしまう。

 

そんなふうに思っていられるのも、とりあえずは健康で、物事を自分一人で対処できる状況に──幸運にも──いるからだろう。病気になったり自然災害に遭ったりすればまた考え方は変わるかもしれない。

 人はときに病気になる。家族がいつまでも一緒にいられるわけではない。地震などの自然災害も起きる。おそらく人生のなかで、ひとりでは解決できない問題をかかえることのほうがふつうで、健康で自由を謳歌できる時間のほうがまれだ。でも、いまの日本の都市生活は、そのまれな状況を前提に営まれているようにみえる。

友だちゼロ人間の俺、今年はサードプレイス作りたいとか、読書会参加したいとか言ってたわりに結局何も行動を起こさなかった。ケツの重い人生。人間関係とか居場所とか、マジで大事だよなあとわかってはいるのだが、なかなか。

 

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究極の民主主義としてのアナキズムに関心を持った。本書で引用される何冊かの本を読みたくなった。

 

 

 

 

 

*1:お金の価値が信用に基づいているのに似ている

*2:俺にフーコーが読めるだろうか

ジョナサン・マレシック『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』を読んで我が身を振り返る

 

 

ある日突然仕事に価値を認められなくなる燃え尽き症候群──バーンアウト文化について考察する。

 

少し前に会社で面白くないことがあったのが読んだきっかけ。

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問題解決のヒントがあるかもと期待して手に取った。先に結論から言ってしまうと知見は得られたが己の問題解決にはいたらなかった。糸口が掴めたかも…くらいな感じ。本文は読みやすいし考察の数々は面白かったので二晩ほどで読了した。

 

前半はバーンアウトについての考察、後半はバーンアウトへの対処方法。対処は難しそうと読む前からわかっていたが実際対処方法は弱い。即効性もない。読み応えあったのは前半部分。

 

バーンアウトは肉体的または精神的な疲労や、自尊心の低下および無力感の増大や、仕事の理想と現実のギャップなどから生じる。

 

かつて仕事は今日を生き延びるための手段でしかなかった。現在は違う。現代人は自分の尊厳やアイデンティティを仕事と結びつけて考えるようになっている。やりがいや充実感を求め、仕事を通じて自尊心が満たされたり人格の成長までも望むようになった。現代人は仕事に対して報酬に加えてそれ以上のものも得たいと期待するようになってしまったのだ。

 

そうなったのは長い時間をかけてプロテスタンティズム精神に則った勤勉さが少しずつ人々に浸透していった面もあるだろうし、資本主義社会で優位に立つために個人が労働に明け暮れるようになった面もあるだろうし、経営者にとって都合のいい勤勉な労働者を作り上げるべくメディアが「仕事に熱心に打ち込めば幸せになれる」と信じ込ませてきた面もあるだろう。人間は元来競争を好む。他者に勝つために熱心に働き、それで富を手に入れる隣人の姿を見たら、自分だってと思う。そのメンタリティは資本主義と相性がよかった。だから発展した。

 

だが働き過ぎれば、成果を挙げられなければ、他者から一切評価されなければ、いつまでも暮らしが楽にならなければ、対人業務で感情をすり減らし過ぎれば、いつか人はバーンアウトする。これ以上は働けない、と体が悲鳴をあげる。バーンアウトは誰もがなりうる点で鬱と似ている。実際、バーンアウトと鬱はなりやすい人の性格類型に親和性があるという。辛さを感じつつなんとか出勤していたのにある朝とうとうベッドから出られなくなる。本書の著者は学生時代から夢見ていた大学教授の職に就き、しかも終身在職権まで得ていながら、多すぎる事務作業や上司からの低評価や学生たちの無反応に長年耐えたすえ遂にバーンアウトしてしまう。理想と思えた職業だったからこそ、その職に就いたとき理想と現実のギャップに打ちのめされた。他人の挙動は要するに「お前はお前が思っているほど重要人物じゃない」と彼らが思っているのを示していて、それが自尊心を傷つけた。こちらが努力しようと相手が応じてくれない無力感。そんなのが毎日積み重なっていつか閾値を超えて決壊する。教師のみならず医療関係者やサービス業など人間相手の仕事いわゆる感情労働は、接する相手の中にはモンスターもいるだろうし(モンスターカスタマーモンスターペアレントモンスターペイシェント)、精神的に疲弊するだろうことは容易に察せられる。俺も今でこそ機械相手のブルーワーカーだが以前は接客業に短期間ながら就いていた時期があった。とにかく時間が長く感じられるし給料低いし休日少ないし変な客でもぞんざいに扱えないしでやっててメンタル的にきつかった。体力的には負担があるが今のブルーワークの方が俺の性格には合っている。

 

バーンアウトしてしまった著者。彼にとって素晴らしい仕事は大学教授ではなく学生時代にバイトでやっていた駐車場の係員だという。やりがいや成長といった高邁な理想など求めず、ただ家賃を払うための手段でしかない、仕事に没頭することなど考えたこともない、そんな仕事こそが理想的な仕事だとは。

 つまり逆説的ではあるが、仕事に没頭することがなかったからこそ、駐車場で働いていたころの私はあんなに幸せだったのだ。あの仕事は、仕事に倫理的あるいは精神的意義を持たせようとする考え方を徹底的に拒絶していた。仕事をすれば、尊厳や人格の成長、あるいは目的意識が得られるという約束もなく、良い人生の可能性がちらつかされることもなかった。駐車場の仕事で充実感を得ることができなかった私は、仕事以外の場所でそれを探さざるをえなかった。そして、文章を書くことや友情、恋愛に充実感を見いだしたのだ。

加えて、報酬が妥当だったこと、一緒に働く仲間たちと信頼し合ってうまくやれていたことも大きかったという。非番の日でも近くを通りかかったら同僚の様子を見に行くことを自然とやれるような恵まれた人間関係と労働環境。大学教授と駐車場係員の仕事を比較して著者はこう述べる。「私たちが仕事に持ち込んだ文化的理想が、私たちのバーンアウトに大きく影響しているのだ」。

だからといって著者はまた駐車場の係員をやろうとはしない。バーンアウトして大学教授を辞めたあと、今は別の大学で非常勤講師をしているとのこと。また駐車場の係員に戻って、空いた時間に執筆活動してるっていうなら徹底していて説得力あったんだが。なんかスッキリしない。

 

バーンアウトに対処方法はあるのか。著者は俗世の仕事をしながら制限を課す修道院、趣味を生きがいにする人々、障害者アーティストなどを訪ねてそれを探る。十分な余暇の確保、コミュニティの形成、労働しなくてもただ居るだけで人には尊厳があることの周知などが提言されるがどれも実行して効果を挙げるには時間がかかりそう。それは社会全体の価値観を仕事中心から人間中心に刷新することだから。いや、もちろんそうなったら素晴らしいだろうなとは思うが。

 

障害者アーティストが語る、病いとは資本主義的な概念だとの指摘が興味深い。

「<健康>な人とは仕事に行ける人」、<病気>の人とはそれができない人」を指すのだという。その結果、資本主義社会は病いを通常の人間の一部ではなく、異常ととらえる。ゆえに慢性病を患うということは、正常からの永遠の逸脱を意味し、社会から敬意を受ける資格がないことになるのだ。

なるほど。そうかも。こういう資本主義的メンタリティを現代人は内面化しすぎているのかもしれない。

 

仕事はあくまで仕事でしかない。過度な理想化は禁物。バーンアウトするのを防ぐには、仕事へ抱く期待値を下げ、同時に相手がしてくれる仕事への期待値も下げること。人格を仕事に委ねすぎないこと。そして人間の尊厳と仕事は無関係だと理解すること。などが必要になる。

労働は喜びだが、それは稼ぐ必要がある分だけ働くという労働だ。どのような仕事でもやりすぎれば悪影響は避けられず、それは良い仕事であっても変わらない。

 

「人間の豊かな暮らしに必要なのはコミュニティと、仕事を制限し、人々が互いの尊厳に配慮する機会をつくる定期的な余暇である」

 

現在働いている人なら誰もが、自分の仕事の理想と現実にギャップを感じる可能性がある。現在の労働環境ならすべての人にバーンアウトのリスクはあるのだ。それもまた労働者が連帯するきっかけになるはずで、現在の労働環境や私たちが仕事に期待するものを変える原動力になるだろう。私たちは、社会がつくった理想によって生じた問題を、ただ漫然と見ているわけにはいかない。私たちこそが社会なのだから、私たちならその理想を変えることができるはずだ。

現在の労働観でやってるうちはバーンアウトはつきまとう。それと決別して新たな労働観を常識にできたときバーンアウトをなくせる。著者は新たな労働観の形成にAIが寄与する可能性を示唆している。

 

 

…ここで自分の問題に立ち返る。

俺はバーンアウトはしていないが、日曜日の午後に「明日仕事に行きたくねえ」と強く思い、不安を鎮めようと本が入った紙袋をぶら下げて川沿いの土手を歩き出すというのは、その萌芽(とても小さい萌芽)くらいには考えてもいいかもしれない。幸いにもあまり物事を引きずらない性格なので月曜日出勤して1時間も経過した頃には普段のメンタルに復していたが。

 

上のエントリでこう書いた。

俺は、労働はクソだ、とは言わない。

労働は人生のいい暇つぶしになる。創意工夫を発揮する機会にもなる。それなくしては人生は長過ぎて退屈だろう。

だが、労働につきものの人間関係、これはクソだ。明らかにそうだ。

人間関係、とりわけ人間による人間の評価、これがクソすぎる。

気が滅入ったから歩いた - 生存記録

要するに自分ではやってるつもりなのに上司から思わぬ低評価されたことで自尊心を脅かされたわけだ。で、むかついたと。この状況が続くと無力感が募ってバーンアウトの危険性が高まるのだろう。自尊心だけじゃない。昇進しなかったり給与がいつまでも増えなかったりすれば自分にも自分がやってる仕事にも価値を見出すのが難しくなる。自信がなくなる。モチベーションも下がる。この労働観も刷新しなくちゃ根本的な解決にはならないんだろうが。

 

仕事は仕事と割り切っている。人格の成長や充実感を求めるほど過大視してはいない。でもどうせやるならいい仕事しよう、いい製品作ろうと思って毎日やっている。意識の高さからそうしてるんじゃない。どうせやるんだったら真剣にやった方がやりがいがあるからそうしているだけ。適当でいいや、なんてメンタリティでやってたら仕事に限らず何だって面白くならないだろう。それは愉快じゃないし俺の望みでもない。

 

俺のむかつき解消はどうしたらいいのやら。仕事は無理しない範囲でお茶を濁して趣味に邁進する? でもその趣味をやる金は仕事で得るんだから仕事で成果出す方が趣味のためにもいいだろう。上司と俺の相性がよくない可能性はあるかもしれない。環境が変わればまた別の評価になることは往々にしてある。だからとりあえず当面は穏便に凌ぎ時間を稼ぐ。状況は永遠じゃない、常に変化する。思わぬ展開がいずれ起きないとも限らない。そうなれば以前にはなかった道が開けたりもする。それに期待するしかない。無理せず真面目にやって状況が変わるのを待つ。

 

超消極的だが今出せる俺のとりあえずの対処方法はこんなところ。あと何日かで年末年始休暇。そこでリフレッシュして気分転換を図ろう。

 バーンアウトした大学教授が自分のバーンアウトを学生のせいにするのは簡単だし、教員の仕事量のせいにするのも簡単、教員の仕事を評価する管理職のせいにするのはもっと簡単だ。確かに、彼らのせいに見えないこともない。しかし私が教職でバーンアウトしていたとき、じつは管理職者たちもバーンアウトしていたのではないだろうか。管理職が私や同僚に対して、私がふさわしいと思う評価をしなかったのは、私が学生たちに相応の注意を払えなかったのと同様、彼らも相応の評価ができなかったのかもしれない。

こういう視点を持つことも大事かもな。

 

 

2023年買ってよかったもの

…の前に2022年の買ってよかったものを振り返る。

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カメラを全然持ち出さない一年だった。春先に桜を撮ったくらいかも。せっかくいいカメラ買ったんだから使わないともったいないとわかってはいるのだが持ち出すのが億劫で。とはいえ写真の枚数的には今年もそれなりに撮っている。その9割以上がiPhone12miniによるもの。飯や散歩中の風景など日常の写真を撮る程度ならiPhoneで十分足りてしまう。画質がそれなりによくいちいち起動して設定いじる必要もない。老眼が始まってカメラの小さいファインダーでピントを合わせるのがしんどくなったのもある。まあ腐るものでもないので置いておいて、また気が向いたら撮ればいい。

ステレオは、今年久々にCDを1枚買ったのでそれをよくかけていた。宇多田ヒカルのFantome。

タニタキッチンタイマーグンゼの睡眠靴下は今年も大活躍した(してる)。

以上。

 

で、今年。

今年はかなり散財した。無駄遣いはしていない。実家をリフォームして部屋を移動したので新たにいろいろ生活するのに必要な家電を購入する羽目になった。

テレビやエアコンなど生活必需品的な家電は買ってよかったという括りに該当するのかどうか。買ってよかったというと日常生活にプラスアルファの要素をもたらすもの、との印象があるので。

でも一応挙げておく。

 

REGZA 43V型

21インチからの買い替え。アマゾンで購入。今いる俺の部屋はテレビが映らない。分波器使ってもうまくいかず諦めた。なので今年1月に買って以来今年一度もテレビを見ないまま、たまのブレーレイ再生とYouTubeまたはU-NEXTの視聴、あとはもっぱらSwitchでゲームをやるモニターとしての活用。年内は立て込んでいるので年始の休暇中に繋ぎ方調べてまた頑張るか。ゆく年くる年を自室でまったり見たいがそれは来年に持ち越される…。

43インチだが迫力的には物足りない。多少差額払っても50インチでもよかったかもしれない。買うときもそう思ったのだが元々テレビっ子でもないし、捨てる時少しでも軽くて楽な方がいいと思って43インチを選んだ…ように記憶している。今思うとどっちでもよかっただろう。どっちを選んでも見方次第で正解になった。

夏頃はティアキンを熱心にやっていたが神殿3つクリアしたところで飽きて放置中。ニーアオートマタも途中で飽きて放置中。ヒューズ編ができる! と意気込んで買ったサガフロリマスターも放置中。恐怖の世界も(以下略)。

 

 

DAIKIN エアコン10畳用

エアコンは買ってよかったというレベルの家電じゃもはやないだろう。ないと生活に支障をきたすレベル。春先、電気屋さんが夏に向けて取付に忙しくなる前に近所の量販店で購入した。取付料込みで10万円以上した。窓を閉めっぱなしでもいいように換気機能付きのが欲しかったのだがそれだともっと値段がするので諦めた。夏の暑い時期、そして寒い今、大活躍(中)。このあいだフィルター掃除をした。性能はいいと思う。今年の冬は例年出してる石油ファンヒーターを使わずこのエアコンと電気毛布でどうにかなっている。

 

 

WD MAC用ポータブルHDD

Late2015モデルのわがiMac、今年何度か動作が不安定になることあり、データクラッシュの可能性を視野に入れ、これまでの20年以上にわたるパソコン人生で初めて外付けHDDを導入した。ずっとノーガードで一度のトラブルもなくやってこれたのだが怖くなった。最初はTime Machineをオート設定にしていたが現在は週に1度か2度、手動で起動している。来年あたり買い替え時期かもしれん。

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Anker Soundcore Life P3

イヤホンは初代AirPodsを使っていたがバッテリーがもたなくなったので売却。その代理として導入。アマゾンで購入した。初めてのノイキャンイヤホン、電車に乗ったとき使用してこんなにノイズを除去できるのか、と感動。バッテリーのもちもいい。AirPodsとの価格差を考慮すると性能的にこれで十分。電車移動する際は必ず持っていって装着。散歩中は危険なので付けません。いい買い物だった。

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ホンダ ヴェゼルe:HEV Z

これも買ってよかったの括りでいいのかどうか。埼玉県に住んでたら車は必須なので。

現在、買って1か月ちょっと。

下の記事に書き忘れたが車の状態をアプリで確認できる。燃費情報、移動履歴(オフにしてる)、メンテナンス記録、給油記録などが見られる。ディラーへの予約もここから入れられる。自分は紙だったが最近は車検証も電子だと担当者は言っていた。もうスマホなしじゃ生活が不便で仕方ない時代なんだな。

車がない状態からある状態への変化ではなく買い替えなのでやることは以前と変わらない。だから新車を買ってもそこまで強い喜びや楽しさはない。ハイブリッドだから燃費が良く給油回数が減って金銭的に助かるとか、いろいろアシスト機能が付いていて運転が楽とか、アップルカープレイが便利とかはあるが。

もちろんいい車を買った満足感はある。大事に綺麗に乗っていこうと思う。

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ニトリ 高さ10ヶ所調整できる枕(パイプ)

www.nitori-net.jp

2年前に無印で買った羽根枕がだいぶヘタってきたのでニトリで購入。パイプ枕が好き。デフォルトだと高かったのでウレタンの敷物は抜いて使ってる。買い替えたおかげなのか、最近長い時間眠れるようになった。今朝も10時間くらい寝て起きた。晩酌をやめてる影響もあるかも(やめて40日以上経過)。ニトリでは羽毛布団も買ったがこちらは普通。

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アイリスオーヤマ 家庭用シュレッダー

車の購入に伴いいろいろ個人情報が記載された書類を扱う機会が多かったのと、その頃ちょうど村崎百郎『鬼畜のススメ』を読んでゴミがいかに情報の塊であるかを知り怖くなってアマゾンで購入。ブラックフライデー前だったが安く買えた。もっと価格の安い下位モデルもあるが差額出してもカットサイズが細密なこちらの方がいいと思う。現在はレシートや通販の宛先なども都度カットしている。

なお『鬼畜のススメ』は第1章だけ読めば十分な本だった。

 

 

Anker Eufy

ハンディ掃除機。アマゾンのブラックフライデーで購入。

コロコロで掃除するには狭い机の上(散らかっている)などで使ってる。コンパクトなコードレス掃除機は気になったときすぐ掃除する気になる。デザインもかわいく気に入っている。Micro USB Type-Bなのが惜しい。

 

 

ユニクロ ウルトラライトダウンベスト

www.uniqlo.com

俺は年間を通してジョガーパンツかスエットパンツしかほぼ履かず冬の上着はもっぱらダウン。だがたまにはセーターの上からコート着てマフラー巻いてとお洒落したくなる日もある。コートはお洒落だがダウンと比較すると防寒機能は弱い。しかしセーターの上からこれを着れば上着がコートでもかなり暖かくなる。嵩張らないし袖がないから動きづらさもない。立襟が覗くのはマフラーで対応。コート脱いだときダサいのはしゃあない。お洒落は我慢というがもう我慢ができる年齢じゃない。室内でも部屋着(スエット)の上から半纏代わりに着る使い道もある。春先の寒い日なんかに厚手のスエットパーカの上から羽織るのもいいかも。

 

 

以上。

テレビ、エアコン、車と今年は散財した。QOLが爆上がりしたってことはないけれど不便を感じることもないのでうまくいっているのだろう。

来年はiMacと20年以上使っている空気清浄機の買い替えをする…かもしれない。財布次第。

 

 

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